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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和60年(う)112号 判決

本籍

金沢市横山町二七八番地

住所

右同町五番二八号

医師

土用下和宏

大正一三年一二月一〇日生

右の者に対する所得税法違反、詐欺被告事件について、昭和六〇年一〇月七日金沢地方裁判所が言い渡した判決に対し、原審弁護人から控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官服部國博出席のうえ審理し、次のとおり判決する。

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役二年及び罰金一億円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金二〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原審及び当審における各訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人勝尾鐐三、湯沢邦夫、合田昌英、神保泰一共同名義及び弁護人湯沢邦夫名義の各控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官服部國博名義の答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、いずれもこれを引用する。

第一弁護人勝尾鐐三ほか三名の控訴趣意中、事実誤認ないし法令適用の誤りに関する主張について

論旨は、要するに、故意の成立には違法性の意識ないしその可能性が必要であるとの見解のもとに、原判示第二の各詐欺の事犯について、被告人には違法性の意識がなく、また、被告人はこれが法律上許されたものであると誤信していたものであって、しかもその誤信につき相当な理由があり、何人に対しても違法の意識を期待し得ない場合であるから、故意を欠くのに、原判決が、故意の成立には違法性の意識を要しないと解し、また、被告人には違法性の意識があったものと認定したのは不当である、というのであり、原判決は、右の点で事実を誤認し、ないしは法令の適用を誤り、これが判決に影響を及ぼすことが明らかである旨の主張と解される。

しかしながら、原審記録に基づき所論について調査し検討すれば、この点に関して原判決が「詐欺罪の犯意について」と題する項において説示しているところは、当裁判所としても首肯し得るものである。すなわち、これを要約すると、関係各証拠によれば、被告人は、永年の経験を有する開業医であり、健康保険法及び国民健康保険法における基準看護の制度について十分な知識を有し、自己の経営する大手町病院における看護婦数が右基準に到底達しないことを熟知していながら、その事務職員に指示し、もと従業員であった看護婦に対価を支払ってその名義を借りる等したうえ、架空の看護婦が勤務しているかのように装って虚偽の書類を作成し、原判示のとおり、基準看護料を不正受給した事実が認められるのであって、そのような事実関係のみからしても、被告人が違法性の意識を有していたものであることは優に推認できるのみならず、原判決に挙示の被告人の関係各供述調書、吉村敞の原審証言、岡本八重子の検察官に対する昭和五九年五月二四日付供述調書等によれば、被告人が、違法であることを了知しつつ前記のような操作を行い、各詐欺を行ったことが明らかに認められる。

なお、所論は、被告人が本件詐欺事犯を敢行したのは、基準看護の承認を受けなければ、それまでの完全看護体制による病院経営を維持することはできないと考えたからであり、かつ、大手町病院には基準に達する数の看護婦はいなかったけれども、看護婦の不足は看護助手をもってカバーし、基準看護と同等の看護、介護を行ってきたという自負があったからであって、被告人には実質的違法性の認識がなかったものである、とも主張するので、この点について補足しておく。

なるほど関係証拠によれば、被告人は、看護婦数を偽って基準看護の承認を受けようとする際に、これを諫めた岡本総婦長らに対してそのような趣旨の弁解をしていることが認められるほか、原審及び当審において同趣旨の供述をしているけれども、基準看護料は、看護婦の充実によって手厚い看護が加えられることを根拠として給付されるのであり、看護助手によっては、病状の観察・報告、診察の介補、投薬、注射、検査等、患者の病状に直接影響のある看護が十分になし得ないことは明らかである。たしかに、老人医療には看護婦による看護はそれほど必要ではなく、看護助手ないし介護人が十分いればよい、という考え方も理解し得ないものではなく、そのような考え方にたてば、基準看護料とは別途にそのような加算給付がなされて然るべきである、とはいい得ても、だからといって給付の根拠のない基準看護料を代わりに受給してもよいといえないことは見易い道理であって、右のような点を無視し、あるいは曲解する被告人の弁解は、暴論というほかない。また、原判決も指摘するとおり、被告人の当時の所得からすれば、被告人は、基準看護料を不正受給しなくとも、そのいうところの完全看護ないし従前の看護体制を維持、経営することは可能であったことが窮われるのであり、それにもかかわらず、被告人は、そのような検討を真剣に行うことなく、安易に基準看護料の不正受給に走っているのであって、この点からも被告人の右弁解は、不正受給を糊塗するに過ぎないものといわざるを得ず、前示関係証拠等からしても、被告人が、違法性の意識を有していたことは明らか、というべきであって、当審における事実取調の結果によっても、以上の認定ないし判断が左右されることはない。

論旨は、いずれにしても理由がない。

第二弁護人勝尾鐐三ほか三名の控訴職意中量刑不当の主張及び弁護人湯沢邦夫の控訴趣意について

論旨は、いずれも、主として被告人の本件各犯行の動機を中心として、情状において酌量すべき点が多多あることを主張し、原判決の量刑が、とくに被告人に対し刑の執行を猶予しなかった点において重過ぎて不当である、というのである。

一  所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討するに、原判決が「量刑の理由」として説示するところは、当裁判所としてもほぼ首肯し得るものであって、本件については、後に判示するような、被告人にとって有利な情状が存しないわけではないが、被告人は、主としてその事業拡大欲から、原判示のとおり、合件八億一〇〇〇万円余の脱税及び二億六〇〇〇万円余の詐欺事犯を敢行したものであって、その金額は厖大であり、各犯行の罪質、態様、とくにその手段、方法等にも照らすと、その刑責は到底軽いとはいえず、原判決が、被告人に対し実刑をもって臨んだのもまことにやむを得ないところといわなければならない。

この点につき、所論に即して若干説明を補足すると、以下のとおりである。

まず、所論は、本件各犯行の動機が決して悪質なものとはいえず、とくに金銭欲から出た犯行ではなく、それによって得た利得は自己の遊興費や蓄財等の利己的目的に充てられていないこと等を強調する。記録によれば、なるほど被告人は、本件脱税及び詐欺によって得た不正利益を、主として新たに開設した敬愛病院の建設資金に充当していて、これによって豪奢な生活をし、あるいはこれを社会的に不当な目的に使用しようとしたものではないけれども、敬愛病院も大手町病院と同じく被告人個人の経営する病院であって、その開設に、老人医療の充実という動機に基づく要因がなかったとはいえないとしても、そのほかに被告人自身の事業拡大欲に基づく面が大きかったといわざるを得ないのであって、そのことは、被告人が純粋に老人医療の充実を考えていたものであるならば、厖大な資金を投入して、いたずらに新病院の建設に走ることなく、過度のオーバーベッド、人手不足の状態にあった大手町病院の施設拡充、人員の補充等に一層意を用いるべきであったと思われるのに、被告人は、これをすることなく、人員も必ずしも十分でないまま新病院の建設を急いでいることからも窺い知ることができるのであり、また、被告人の本件各犯行の動機が、右にとどまらず、その高額な個人収入を維持するためでもあったことは、被告人が、右のとおり、敬愛病院の開設のために厖大な資金を投入しながら、なおかつ巨額の預貯金その他の資産を形成していたことや、法人化による節税を真剣に検討した形跡も窺えないこと等に徴して明らかであるといわなければならない。

そして、そのような事実関係に徴するときは、被告人の本件各犯行の動機が金銭欲にあったものではないという点も、これを所論が強調するほど過大に評価することはできないものというべきである。

さらに所論は、わが国の税制上の問題点を指摘して、これを被告人に有利な情状として主張するのであるが、この点も原判決の説示するとおり、そのような税制上の問題点があるからといって、脱税の責任が軽減されるわけのものではないことは、多言を要しないところである。

他方、原判決も指摘するとおり、被告人は、老人医療のために尽力したものと評価し得ること、本件脱税にかかる三か年分の所得について修正申告したうえ、本税、延滞税、重加算税等を全額納付済みであり、不正受給した基準看護料についても全額返還済みであること、被告人にはこれまで何ら前科歴はなく、永年社会福祉団体等に寄付を続けて来たこと、本件犯行発覚後、大手町病院を法人化し、その資産を全部現物出資するとともに、自らはその経営から身を引いて反省の意を表わし、また、一定程度の社会的制裁を受けていること等、被告人にとって有利な情状が認められないわけではないけれども、前示のとおり本件各犯行の罪質、動機、態様、規模及び社会的影響等の情状にも照らすと、本件が、被告人に対し、刑の執行を猶予するのを相当とする事案とまでは認められない。(なお、所論は、被告人が、本件詐欺により不正受給した基準看護料が同時に本件脱税の対象たる実所得とされているから、いわゆる二重の危険る禁ずる憲法三九条の精神にかんがみ、この点を配慮すべきである、というものであるが、基準看護料を不正受給することと、その所得申告をせずしてこれについて脱税することとは、別個の行為であり、別個の法規範に違反するものであるから、その両者がともに起訴されたからといって何ら憲法の精神に悖るものではなく、所論は採用の限りではない。)

二  しかしながら、なお、その刑期について検討するに、被告人の本件各犯行の動機は前示のとおりであり、これが格別良好な情状であるといえないことは勿論であるが、他の同種事犯に比すれば、それほど悪質ではない、という意味において被告人にとって有利な情状ということができ、また、本件詐欺事犯について違法性の意識がなかったとする所論の採り得ないことは前説示のとおりであるが、この点についての被告人の弁解は、一面において現在の老人医療の問題点ないし制度の不備の一端を突いているといえなくもなく、それ故被告人の違法性の意識が高かったとまでは認め難いこと、その他、既に指摘したとおりの被告人にとって有利な諸般の事情、とりわけ、被告人は自己の非を認めて反省の態度を示し、当然のことながら、並並ならぬ被告人の努力により巨額にのぼる本件被害の回復が早期に実現していることなどをも考慮にいれつつ、他の同種事犯における量刑状況とも比較衡量するときは、原判決の量刑は、その刑期の点において若干重きに過ぎるものといわざるを得ない。

論旨は、その限度で、理由がある。

第三破棄自判

よって、刑訴法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い当裁判所において更に判決することとし、原判決の認定した事実に、原判決と同じ罰条の適用(ただし、判示第二の各所為に対する適条として刑法六〇条を付加する。なお、原判決の適条は右法条の摘示を欠いている点において適切ではないが、その「罪となるべき事実」の記載からすれば、同条を適用したものであることは明らかであるから、その適条が違法であるとまではいえない。)、刑種の選択、併合罪の処理をし、その刑期及び金額の範囲内で被告人を懲役二年及び罰金一億円に処し、同法一八条により、右罰金を完納することができないときは金二〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、原審及び当審における各訴訟費用については刑訴法一八一条一項本文を適用してこれを全部被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 杉浦龍二郎 裁判官 紙浦健二 裁判官 小西秀宣)

昭和六〇年(う)第一一二号

○控訴趣意書

所得税法違反、詐欺被告事件 被告人 土用下和宏

右の者に対する所得税法違反及び詐欺被告事件につき左記のとおり控訴の趣意を供述する。

昭和六一年三月一一日

弁護士 勝尾鐐二

同 神保泰一

同 合田昌英

同 湯沢邦夫

名古屋高等裁判所金沢支部第二部 御中

目次

はしがき・・・・・・一二四二

第一 社会はそれにふさわしい犯罪を生む・・・・・・一二四二

第二 本件所得税法違反事件の社会的背景・・・・・・一二四四

一 税率構造・・・・・・一二四四

二 税負担の不公平について・・・・・・一二四五

第三 本件詐欺事件の社会的背景・・・・・・一二五〇

一 高令化社会の進行・・・・・・一二五〇

二 高令者の罹病率の上昇・・・・・・一二五一

三 寝たきり老人又は老人性痴呆者の各家庭における看護の困難性・・・・・・一二五三

四 高令者の入院希望者の増加・・・・・・一二五四

五 日本の医療制度全般についての民間依存型の特色・・・・・・一二五五

六 看護婦の数の絶対的不足・・・・・・一二五五

七 行政における老人福祉対策の遅れ・・・・・・一二五五

第四 被告人の経歴・・・・・・一二五七

第五 動機・・・・・・一二五七

一 両事件を通じての動機・・・・・・一二五七

二 所得税法違反の動機・・・・・・一二五八

三 基準看護加算金の不正受給に係る詐欺事件の動機・・・・・・一二六一

四 老人患者の実情及び看護の実情・・・・・・一二六三

第六 詐欺の犯意について・・・・・・一二六九

一 被告人の供述・・・・・・一二七〇

二 原審証人上口昌得の証言・・・・・・一二七三

三 同証人大戸宏の証言・・・・・・一二七三

四 同証人平松昌司の証言・・・・・・一二七三

五 同証人吉村敞の証言・・・・・・一二七五

六 同証人宮下正次の証言・・・・・・一二七六

七 同証人岡本八重子の証言・・・・・・一二七七

八 同証人安部健吉の証言・・・・・・一二七九

九 同証人荒川敦子の証言・・・・・・一二七九

十 同証人清水ヨシ子の証言・・・・・・一二七九

第七 違法性の意識について・・・・・・一二八〇

第八 “二重の危険”について・・・・・・一二八九

第九 情状一般について・・・・・・一二九一

一 金銭欲に基づく犯行でないことについて・・・・・・一二九一

二 基準看護一類の承認取消し後における被告人の態度・・・・・・一二九五

三 本件の影響-その功罪・・・・・・一二九九

四 本件事件について金銭的後始末を完了したことについて・・・・・・一二九九

第十 本件所得税法違反事件の情状と量刑について・・・・・・一三〇〇

第十一 被告人の生活、人物、社会的功績等・・・・・・一三一二

むすび・・・・・・一三一六

はしがき

原審裁判所は、罪となるべき事実として各公訴事実と同旨の事実を認定したうえ、被告人を懲役二年六月及び罰金一億円に各処する旨を言い渡した。しかしながら、右の量刑は懲役刑に執行猶予を付さないで実刑判決を言い渡した点で量刑が著しく重きに失し不当であるからとうてい破棄を免れないと思料する。

本件所得税法違反被告事件については、その営業目的、経歴、納税の状態、逋脱の動機、手段方法、罪証隠滅の有無、逋脱税額、逋脱率、申告率、犯則所得の使途、当該犯行関与の程度、再犯の虞れの有無、改悛の情の有無等を仔細に検討考察する場合、本件所得税法違反にかかる事犯は、必ずしも実刑を以て臨むべきものと思われず、この種事犯に対する実刑判決と比較考量する場合にはかえって執行猶予に付することが相当であり、刑政の目的に合致するものと思料するものである。また詐欺の事犯については、被告人は「他を欺罔して金員を騙取する」意思において極めて薄くむしろその意思が無かった換言すれば詐欺の犯意が無かったと評価することが可能であり、原審判決の如く詐欺罪の成立が認められるにしても執行猶予に付することが相当であると思料する。以下その理由を陳述する。

第一 「社会はそれにふさわしい犯罪を生む」といわれている。いうまでもなく、犯罪あっての刑罰であり、刑罰は犯罪を前提とするものである。具体的に為された犯罪とは、特定の人が、一定の時と場所において行った一回的な歴史的事実である。換言すると、犯罪現象たる事実は歴史的、社会的事実であって、一面においては特殊的、個性的であるが、同時に他面においては不可分的な一体を形成しているのである。すなわち犯罪は、何人かの具体的行為であり、犯人は具体的な人間であり、犯罪現象は具体的人間が属する特定の時代の特定の社会における現象である。

検察官が公訴を提起するか、起訴猶予処分に付するかを決定するにあたり、或は裁判所が刑の量刑を決するにあたって、応報観念の満足並びに一般威嚇作用を考慮するだけではなく、「犯人の性格、年令及び境遇、犯罪の軽重及びの情状並に犯罪後の情状」を判断の材料とすることを要するとされる所似であり、犯罪の原因として個人的原因のみならず、社会的原因をも究明すべきことが要請される所似である。犯罪現象の予防及び克服に関する刑事政策が、刑事政策に限らず刑罰以外の方策も含まれるとする所似でもある。

犯罪の原因を大別すると、個人的原因と社会的原因に分類され、社会的原因はさらに社会心理的原因と社会経済的原因に分類されるのであるが、これらの諸原因のうち、社会経済的原因が根本であって、それが一方では社会心理的原因を決定し、他方では遺伝的、精神病的、心理的原因を決定するとされている。そしてこれらの諸原因は個別独立的に作用するものではなくして、この原因相互の間に交互作用が存在し、それは単純な単一的系列を形成するものでなくして、複雑な放射的系列に形造って居るとされているのである。

今ここに太平洋戦争後を振り返ってみても、犯罪情勢に大きな変遷のあったことに気付く。政治社会情勢の変動、経済生活の向上、文化水準の高度化、価値観の複雑多様化、科学技術の進歩等を反映して、発生した犯罪の種類においても、その態様や手段、方法においても、大きく変化してきている。このことは当然のことながら、犯罪者も変容してきていることを物語っている。このように犯罪と犯罪者が動的であるのに対し、これに対処すべき法は実体法、手続法、処遇法を通じ、多少の改正はあったとはいえ静的である。以下本件に関して現代日本の税制上の問題点或は医療の現状とその問題に触れる所似である。

敢えて本件のこれら社会的背景に触れるのは、「省りみて他を言う」の心底は毛頭無く、先の第二次大戦の末期から敗戦にかけて、軍医として勤務し、復員後医師として再起し今日に到った激動混乱の時期にその青春時期を過ごした被告人の人間に対し裁判所の深く且つ温かい洞察を願うからに他ならない。

第二 本件所得税法違反事件の社会的背景

一、税率構造

日本の所得税の税率は、一五段階に分れ、一〇%から七五%迄の累進税率である。下の方はフランスは別として上の方は一番高くなっている。住民税も合わせると最高税率は九三%になってしまう。そのために、所得が二倍になると税額では三倍にもなるというように、両者のピッチが著しく違う。これでは勤労意欲を害し、あるいは租税回避の行為を促進させるということになる。(福田幸弘 税とデモクラシー 弁護人請求第五九号)。税理士地藤久治作成の賦課制限の調査表(弁第五号)によると、課税所得五億円の場合、所得税三億六〇七六万円(七二・一五二%)、県市民税三、九二四万円(七・八四八%)、税額合計四億円(八〇%)であるとされ、そのほか病院関係では自費患者、検診料、売店その他の雑収入に対し、税率五%の事業税が課せられることが明らかであり、更に同税理士作成の税額計算表(弁第四号)の記載によると、右所得税、県市民税以外の税負担として、昭和五八年分で見ると、医師国保三四万八〇〇〇円、事業税二六万五四〇〇円、固定資産税二・二一二万円であると記載されている。

所得を平準化すべきであるという「平均課税」あるいは「調整課税」の主張に対しては現実論としては確かに耳を傾けるべきものがある。「外国の財政学者と話していて、所得税の最高限界税率というのはどの位が望ましいだろうかと言ったら、その人が七〇%がせいぜいだと、それ以上になると租税回避行為が起こってくる。かえって不公平になってしまうと言っていた。私は六〇%くらいが最高の限界の税率としては適正なところではないかという考え方はあると思う」と東京大学金子宏教授は言われる。前記前国税庁長官、日本損害保険協会副会長福田幸弘は「税率カーブの高いことが、“法人成り”の現象を生んでいる。法人が一五〇万もあるというのは異常である。ヨーロッパでは各国とも五〇万以下です。実質は法人ではないのに、税率が原因となって法人形態を利用することになる。税率の高くなり方がこういうおかしさと不公平感を呼んでいる」と説かれる。高い税率は脱税を誘発し、税務当局の実際調査率の低さもあって“リスクはあるけれどもやりがいのある脱税”が横行する(前出福田、税とデモクラシー、ジュリスト増刊総合特集33号84・1号 日本の税金)。非常識な税率を税率構造としてもつべきものではなく、わが国の最高九三%などというのは国際的にも異常といわねばならないであろう-五九年度の改正で所得税の税率が五% 賦課制限が二%引き下げられたが、なお不充分といえる-一〇万円ふえたら九万三〇〇〇円を国が持って行くというのは、これは仕組みとしてもおかしいのである。イギリスでは最高税率の八三%を六〇%にしているし、アメリカは七〇%を五〇%にしている。見返りなどはない。自由主義活性化を政治目標にしているからである。(前出福田税とデモクラシー、日本の税金)

二、税負担の不公平について

一ツ橋大学石弘光教授によると「総理府広報室の調査結果は、不公平だとの解答割合が、四五年の六〇%から五三年の六七%をへて、五六年の七三%にまで高まっている。ちなみにこの七三%の内訳を業種別にみると、自営業者は七〇%、サラリーマンは八一%となっている。--このように税に対する不公平感が高まった背景には五三年以降所得税が減税されていないという事実があるのであろう。(前出日本の税金八八頁)また昭和六〇年四月三日付北国新聞は、同新聞社加盟の世論調査会が実施した世論調査の結果「税金が重く納め方に不公平があると感じている人が全体の八割を超え、税金の改革が必要であると考えている。」旨報道されている(弁第九号)。米国シャウプ博士(昭和二四年のシャウプ使節団日本税制報告書作成の中心人物)が最近日本の新聞記者との会見の席上で日本の所得税に関し、「一般論としても、最高税率七〇%は、いかにも高すぎる。五〇%でも充分ではないか。」主に「累進税率区分の一五段階も、五乃至一〇段階で充分。」との判断を示し、「先ず所得税の最高税率緩和と簡素化への取り組みを必要とする。」旨の見解を表明している。(昭和六〇・三・一九付読売新聞弁第九八号)。

三、何れにしても、日本の所得税及び県市民税が高く、税に対する重圧感が強いこと、及び税負担が不公平であるとの強い国民感情の存在は勤務意欲減退と租税回避を促進させ、ひいて所得隠し、脱税誘発を招く結果となることも、まことに遺憾なことながら、世相の一端を語るものといわざるを得ない。

四、このような世相下において、最近我が国で個人所得税及び法人税について脱税容疑で、国税当局の査察を受けた事犯が各階層、各業種に亘り、相当広い範囲で発生していることは次の如き資料からも窺うことができるところである。

1 国税庁作成に係る「昭和五八年度査察事績」(検察官請求にかかる第三三一号)

右のよると、国税当局が査察処理した脱税に容疑事件は

一 五七年二三七件(内告発件数一七一件)五八年二四三件(内告発件数一九〇件)

二 次に総脱漏所得額は

五七年四八四億八、一〇〇万円(総脱税額三〇二億四七〇〇万円)、五八年総脱漏所得額五一二億二三〇〇万円(同上脱税額三三二億六六〇〇万円)。

三 その業種は製造業、卸小売業その他数業種であることが明らかにされいる。

2 国税庁直税部長作成に係る回答書(弁第六八号)及び北国新聞(昭五九・九・二付弁第六九号)所載の「申告漏れ史上最高一兆八〇〇億円」(法人税白書)との見出しのある記事。右回答書や記事によると、昭和五八年事務年度(同年七月-翌五九年六月)における法人税の課税事績に付、国税当局が法人一九万八〇〇〇社に付実地調査した結果、その約四分の一に当たる五万一〇〇〇社で、所得の不正計算が行なわれており、右実地調査の対象となった法人企業の申告漏れの所得金額は、総計一兆八四九億円で、前年度より三・六%増加していること等が明らかにされている。

3 昭和五九年三月二日付読売新聞の、国税庁がまとめた「五七年度分譲渡税白書」からわかったものであることとして「譲渡税ごまかし最高三一〇〇億、調査の七割、不動産業者入れ知恵も」と題する記事の存在。

4 同年一一月七日付北国新聞所載の「石川島幡磨五年間で一五〇億円申告漏れ、追徴額は七〇億円(東京国税局)」と題する記事の存在。

5 同日付北国新聞(夕刊)所載の「大企業相次ぐ巨額税逃れ、三井物産六五億円追徴、二年間の外国税過大控除」と題する記事の存在。

6 同年一二月二七付北国新聞所載の「二年で三〇億円申告漏れ、大阪国税局調査、近畿二府四県の農協」と題する記事の存在。

7 昭和六〇年一月二五日付北国新聞所載の、奈良市内の事例として、「執行猶予また脱税、二年間に三億円も(法人税)社長夫婦ら三人逮捕」と題する記事の存在。

8 同年二月一四日付北国新聞(夕刊)所載の「弁護士の所得ごまかし、近畿でも一〇億九〇〇〇万円 五|一件調査」と題する記事の存在。

9 同年三月七日北国新聞所載の「東京国税局が管内の一都三県(東京、神奈川、千葉、山梨)に住む内科、産婦人科、外科、歯科の主要四診療科目の個人開業医を税務調査したところ、調査対象の九割から、所得隠しや申告漏れが見つかり、ごまかし所得の総額は、約六四億円(一人平均四二〇万円余)にも上ることが六日分かった」と題する記事の存在。

10 同年三月一五日付読売新聞所載の「民宿脱税二〇七件も、東京国税局が摘発、富士五湖に集中」と題する記事の存在。

11 同年五月一四日北国新聞所載の、兵庫県淡路島の歯科医師二人の事例として、「この二人が三年間に計三億九〇〇〇万円の所得を隠し、計二億三〇〇〇万円を脱税していたことが大阪国税局の査察で分かった」旨の記事の存在。

12 同年五月二五日付読売新聞所載の、東京国税局が申告疑惑の七五〇〇社に付調査した結果として「赤字法人の四分の一は黒字、所得ごまかし八四%、目立つ建設、料飲業」と題する記事の存在。

13 同年六月八付北国新聞所載の国税庁発表の五九年度脱税白書によるものとして「史上最高五五〇億円、三億円以上六一件も、目立つパチンコ業界」と題する記事の存在。

14 同年六月八日北国新聞所載の、国税庁が七日まとめた五九年度脱税白書によるものとして「現ナマを隠せ、悪知慧絞る、タンスの中に抜け道も、秘密の地下室へ」と題する記事の存在。

以上のマスコミの新聞記事は、夫々当地方にも各家庭に配布されているもので公知の事実と称し得るものである。

15 何れにしても減税を軸に税制改革を実施することは、内外において焦眉の急とされているのである。

(アメリカのレーガン大統領は昭和六〇年五月二八日(日本時間二九日朝)、全米テレビを通じ、本年二月一般教書で公約した歴史的な税制改革の大統領提案の内容に関し、それは一九一三年以来の所得税制を根本的に改正するもので〈1〉個人所得税の最高税率を現行の五〇%から三五%に引き下げ、税率区分も現行の最高一五段階(一一~五〇%)を三段階(一五、二五、三五%)に簡素化する。〈2〉法人税の最高税率も現行の四六%から三三%に引き下げる。……このようにして「公正で簡素な税制」を実現し、アメリカの一層の経済成長をめざしているものであると表明しており(同年五月一九日付読売新聞夕刊の記事)また我が国にあっても中曽根首相は、昭和六〇年六月二八日に行われた総理官邸における内閣記者団との会見の席上、政府は特殊減税を軸に税制を実施したい意向であることを表明した旨当時のマスコミに報道されていたことも公知の事実である。

五、医師という社会の指導的立場にある被告人が本件の所得税法違反罪を犯したことは、極めて遺憾であり、その責任は船端を叩いて責むべきものがあると思料するものであるが右4の(1)乃至(15)記事の如き諸情勢下において行われたものであることを思う時、被告人も弱点の多い一人の人間であることを思う時、一人被告人のみを責めることに躊躇せざるを得ないものがある。

この点に関し、岐阜地方裁判所が所得税法違反被告事件につき、昭和五六年三月二七日言い渡した判決において、「脱税は見方をかえれば、極めて誘惑的な国に対する債務不履行と言い得る。そして遺憾ながら、我が国では率先して範を垂れるべき為政者が、ほとんど誠実にこの業務を尽くしていないのは公知の事実と言ってよい。又農業、自由業、給与所得者等各職種によって、税負担の不公平が存在するとの国民感情は根強く、これが納税意欲を著しく減退させていることも否定できないであろう。従ってかかる世相の中にあって摘発された被告人のみひとり厳しい責任追求するのは当を得ない云々」と判示していること(弁第一九号税務訟訟資料のNO27参照)は、税制全般に対する批判としてその実相に迫るものがあるということができるであろう。

第三 本件詐欺事件の社会的背景

一、高令化社会の進行

昭和五〇年の日本の老年人口(六五才以上)は八八六万人で、総人口に占める割合は七・九%であるが、昭和五八年十月一日には、老年人口は九・八%うち七〇才以上六・四%である(官報資料版NO.一三四〇昭和五九・四・一一)。厚生省の調査によると、日本人の平均年令は、男性にあって、〇才は七四・二〇年、二〇才は五五・二五年、四〇才は三六・二〇年、六五才は一五・一九年であり、女性にあっては、〇才は七七・七八年、二〇才は六〇・五六年、四〇才は四一・一〇年、六五才は一八・四〇年である。一方死因別死亡確率は、男性にあっては、悪性新生物二二・八六%、脳血管疾患一九・七一%、心疾患一八・三八%であり、女性にあっては脳血管疾患二三・二二%、心疾患二三・三二%、悪性新生物一五・六八%である。(昭和五九・八・八官報資料版)。医療や年金など高令者の生活を支える社会的諸制度が不充分なままで高令者は確実に増加しつつある。昭和五七年には日本の老年人口は一九〇六万人、一四・三%にまで増加する。欧米諸国の場合にこの比率が五%から一二%になるのに、フランスでは一七〇年、スウェーデンでは一〇五年という長い期間をかけているのに対し、日本は四五年という短期間のうちに、老令化社会に突入することになる。又老令人口指数(生産年令人口-一五~六才人口)に対する老令人口(六五才以上人口の割合)を見ると、昭和五十年は一一・七%で生産年令人口九人に対し、老人一人の割合となっているのに対し、昭和五七年は二一・七%で、五人に一人となるが、昭和五〇年から同五七年迄の伸び率を比較すると、六五才~七五才人口が二倍になるのに対し、七五才以上人口は二倍半になると見込まれている。

厚生省(五十九年厚生行政基礎調査の概況、日本経済新聞昭和六〇・一・九参照)の発表によると、高令者世帯(男六五才以上、女六〇才以上の者のみで構成するか、又はこれらに一八才未満の者が加わった世帯)は前年より二十二万九千世帯八・二%増となり三百二万一千世帯と初めて三百万台を超えた。高令者世帯と全世帯の年次推移をみると、昭和四五年に比べ高令者世帯は二・五倍となり、全世帯の一・二倍を上廻る増加となっている。六五才以上の者は、一一七一万八千人であるが、これを家族形態別にみると、子供夫婦と同居している者が五七〇万八千人四八・七%、配偶者のいない子と同居している者が一九四万八千人一六・六%で合わせて七六五万六千人六五・三%が子と同居しておりその割合は年々減少している。また、全国の寝たきり者の数は七〇万人(男三〇万八千人、女三九万二千人)であり、人口一〇〇〇人に対して六・四人の割合となっている。前回(昭和五六年)調査の結果と比べると、この三年間に一〇万一千人増加している。これを寝たきりの期間別にみると、六ケ月以上の寝たきり者は四九万人で寝たきり者全体の七〇%を占めている。また年令階級別にみると、六〇才以上の者については五四万三千人で人口一〇〇〇人に対し三二・三人が寝たきり者である。更に「寝たきり老人(六五才以上、六ケ月以上寝たきり)」は三六万六千人であり前回調査時より四万二千人の増加となっている。

これらは何れも高令化問題が深刻化していることを裏付けるものである。

二、高令者の罹病率(老人制痴呆症を含む)の上昇

日本における生活水準の向上、医学、医術の進歩や、制度の改善は、平均寿命を著しく向上させ(人生八十年時代といわれる)老人の健康にも好ましい影響を及ぼしてきた。しかし、かなりの老人が老化現象というさけ難い生物的特性もあって病気にかかり、その機能が低下している。昭和五〇年の国民健康調査によれば、老人の有病率は成年層の五倍に達し、医師による精密な診断の結果、治療を要する老人は半数以上に達している。また老人の疾患は、高血圧性疾患、脳血管疾患、心疾患など長期慢性化しやすいものが多く、また幾つもの疾病が同時に存在し、更に生理的老化と疾病が共存するため、複雑な症状が現れやすい。

次に、老人が疾病に罹った場合、治癒後も何らかの機能障害を残す事が多い。また、たとえ疾病にかからなくても、老化により日常生活の適応能力が低下していくため、次第に介護を要する状態になってくる。前記厚生省の厚生行政基礎調査によると、現在家族が行っている寝たきり老人への介護の種類(複数回答)については、入浴六五・七%、衣服の着脱六一・〇%、排便五四・一%、今回から初めて調査項目に加えた寝返りなど体位交換にも三六・三%が介護を必要としていることがわかった。一方寝たきり老人の介護者は「同居の子の配偶者」が三四・四%でトップ、性別では八八・八%が女性であることから、一家の主婦に重い負担がかかっていることがはっきりした。ちなみに石川県の調査によると昭和五八年四月一日現在で県下の各市町村における六五才以上の者のうち調査対象八六二名中、治療後の者は五四一人、六三・六%で、その疾患を見ると高血圧症が二八・三%と最も多く、心臓病一〇・八%、白内障八・四%、神経疾患六・六%糖尿病四・六%となっている。更に調査対象八六二名に付既往病があると答えた者は七二七人、八五・五%、その中で高血圧症が最も多く三二・五%を占め、心臓病一六・八%、神経疾患一〇・五%、脳血管障害五・八%等となっている。

三、寝たきり老人又は老人性痴呆症者の各家庭における看護の困難性

老人性痴呆いわゆるぼけについて今日のアメリカにおける老人痴呆研究の第一人者ジェローム・ストーン(Jerom Stone)博士は最近こういった「この病気は罹った人からマインドを奪い、家族のハートを破る」と。実感のにじみ出た言葉である。(日野原重明「老いを創める」朝日新聞社、一三一頁弁第一〇七号)。痴呆状態が進行すると部屋の中で大小便をたれ流しにしたり、寒い夜に外出するなどと言い出してきかない。それを止めようとすると大変な暴力沙汰になり、男の老人だと女手ではどうしようもなくなる。家族の名前を忘れたり、朝食をとったのにしばらくして、まだ朝食をたべさせないなどと、言ったりする。自分の家にいるのに夜になるとこれから家に帰るなどと言い出す。時間の識別やお金の勘定もだんだんできなくなる。このように病気が進行すると、家族の精神的負担はもちろん、夜間もずっと起きて世話をしたり、外出しようとするのを止めたりするなどの肉体的負担もますますひどくなる。このような老人を見ると長生きするのも考えものと家族はただ嘆息するばかりである。厚生省人口問題研究所の推定では二〇〇〇年には六五才以上の人口は一、九九四万人となり、現在のぼけ出現率がこのまま推移し、これに五〇才代から始まる場合があるぼけを加算すると、約一〇〇万人ものぼけ老人が生まれことになる。ぼけ老人で悩み、そのために家族が崩壊するというケースが日本では少なくない。病む老人やその家族の苦労を心からいとおしむ感性、援助の手をさしのべようという意欲が、同じ社会をつくる人々の間に乏しいというのは大きな問題である。どこかの施設に入れようと思っても、手のかかる老人であればあるほど収容は困難である。どこかの病院に入院させても、そこでは全身をしばられ、四六時中静脈内点滴注射をされるようなことも少なくない。(前出「老いを創める」一四七頁)。

近次、日本でも人口の都市集中や都市の住宅事情等により核家族が増加し、また若い世代では夫婦共稼ぎの家族が多いので、親である病気老人をその卑族が、私的に扶養する割合は次々に低下して行くことは勿論、むしろこれを嫌う傾向が強くなる。このまま推移すれば、親を扶養する気持ちが薄れていくものとみられる。前出厚生省の調査によると、我が国の世帯総数は三千七百三十三万八千世帯で五十八年に比べ八十四万一千世帯、二・三%の増加となった。世帯の構成割合は四人世帯が全体の二四・八%で最も多く、以下一人世帯一九・四%、二人世帯一八・二%の順で平均世帯人員は三・一九人。夫婦と子供の核家族は全体の六〇%に当たる二千二百六十万八千世帯で、前年からほぼ横ばい。ただ一人暮らし世帯が七百二十四万三千世帯と、前年と比べ六十四万五千人、九・七%増となったのが目立った。これに対し両親と夫婦、その子供で構成する三世代世帯が五百五十万八千世帯と前年の五百六十三万二千世帯を更に下回り、我が国の核家族化、単独世帯化がさらに進行していることを示した。更にこのような傾向に伴い高令者のみの世帯も大幅な増加を示している。欧米諸国の場合、別居していても家族との接触は極めて濃密であるといわれるが、日本では別居すれば子供との接触は少なくなる。したがって、このような状況であれば、家族とのふれあいによる老人の扶養、介護の問題に大きな影響を及ぼして行くものと考えられる。

四、高令者の入院希望者の増加

前述のように病気の老人をその子や孫達が家庭において介護、看病することが困難だとしてこれを嫌う傾向がある外、昭和四八年一月の老人福祉法の改正により、特に七〇才以上の老人の医療費が無料となった事情も加わり、国公立の病院は付添人のない病気老人の入院を嫌う傾向にあることから、その後の老人自身は勿論、その家族や民生委員その他地区老人会等からも疾病又は独り暮らしの老人の病院入院希望者が遂年増加する状況であった。

五、日本の医療制度全般についての民間異存型の特色

日本の医療制度の最大の特徴は、自由開業医制にある。特に病院の経営を諸外国に比べると、その特徴が一層はっきりするといわれている(医師不足と医師の偏在、ジュリストNO五四八 浅野健輔)。すなわち米国でも欧州でも、病院の経営が私的な営利の対象となっている例は極めて少なく、ほとんどの病院は国又は地方団体、あるいは宗教団体が運営している。ところが、日本の場合は七五・六%(昭和四六年時点)の病院が、本件大手町病院のような私的病院であり、しかもこの割合は徐々に増大している。また全体の医師の四八%は診療所の開設者、つまり開業医である。しかも日本の場合、全く自由放任主義と言ってよく、地域の病院や診療所を組織化する政策的努力はほとんどみられないといってもよい状況である。

六、本件犯罪当時における看護婦の絶対的不足

本件詐欺罪の時期においては、石川県下の看護婦が絶対的不足の状況で、しかも資格を有する看護婦は、待遇等の面から国公立の病院に勤めることを好み、その為私的病院では、必要な数の看護婦を確保することは大変困難な状況にあったといわれている。

七、本件行政における老人福祉大策のおくれ

石川県の調査によると、昭和五六年の県下における六五才以上の老令人口は一二万〇、〇四六名(全人口に占める割合一〇・六%)。同五七年における同様老令人口は一二万二、四一三名(同上割合一〇・八%)。同五八年における同様老令人口は一二万六、四七九名(同上割合一一・一%)であり、その内六五才以上在宅寝たきり老人(以下前者と称する)及び六五才以上独り暮らし老人(以下後者と称する)は、昭和五六年は前者一、八六二名(六五才以上老令人口に対し占める割合一・六%)後者四、二八七名(同上割合三・六%)。同五七年は前者一、八二一名(同上割合一・五%)。後者四、七四五名(同上割合三-九%)。同五八年は、前者一、八一〇名(同上割合一・四%)。後者五、二七七名(同上割合四・二%)であるが、右三ケ年における各老人病棟整備の状況は、県下三ケ所で合計三〇〇床であり、県下の公立病院に対する老人病床設置依託の状況は、昭和五六年、同五七年各会計五〇〇床、同五八年合計五二〇床の程度であり、養護老人ホームは五ケ所でその定員合計六〇〇名、特別養護老人ホームは、昭和五八年末で一二ケ所その合計定員一、一〇〇名の程度であることが判明する。右五六年の六五才以上在宅寝たきり老人と六五才以上独り暮らし老人の合計数は、六、一四九名、同五七年の同様合計数は、六、五六六名、同五八年の同様合計数は、七、〇八七名であるのに対し、同年度における県下の公立の病院での老人病棟及び老人病床の整備設置の状況は八〇〇床乃至八二〇床程度であり、又五ケ所の養護老人ホームの入所定員六〇〇名、一二ケ所の特別養護老人ホームの同五八年度末の収容定員数は一、一〇〇名程度であることを考えると、本件詐欺罪の犯行当時における石川県行政当局の老人福祉政策は、相当立ち遅れていたものといわなければならない。(以上「一乃至三頁」については、弁第九号「老人保健法の解説及び弁第七〇号昭和五九・八・二一付北国新聞の記事。「四頁」については原審公判における証人宮下正次、同岡本八重子、同清水芳子、同荒川敦子の各証言。「五頁」については弁第一〇号「ジュリスト臨時増刊号五四八号」一一二頁、原審公判における証人平松昌司、同大戸宏の各証言。「六項」については、同証人岡本八重子、同平松昌司、同上口昌徳の各証言、弁第一〇〇号の被告人陳述書一一丁一二丁。「七頁」については、弁第一二号の中村正人作成の調査表、弁第六一号の石川県厚生部民生課、衛生部総務課作成に係る資料及び原審公判における証人上口昌徳の証言参照)

第四 (被告人の経歴)

被告人は五人兄弟姉妹の長男として生まれ(姉二人、妹一人は現在も健在)、石川県立金沢第二中学校を卒業、軍医を志望し、昭和十二年に金沢医科大学医学専門部に入学し陸軍委託学生として教育を受けた後昭和二〇年四月に陸軍軍医学校において衛生部見習士官として教育中同年八月に終戦となったものである。昭和二〇年九月金沢医科大学医学専門部を卒業するとともに金沢医科大学第一内科に副手専攻生として入局し診察研究に従事し、同年十一月医師免許証を取得(医籍登録一一七二六三号)し、昭和二五年四月金沢市立病院内科兼伝染病院に勤務、同二九年六月医学博士の学位を授与されたものである。その間昭和二七年現在の妻欣子と結婚し、昭和三一年に丘父井村重雄が院長をしていた大手町病院(現在丸の内病院、金沢市大手町五番三二号)に招かれ、昭和四七年三月大手町病院の開設者、院長となったものである。同四七年四月旭ケ丘サナトリウムの開設者となり、昭和五五年五月土用下保険福祉相談を開設(労働衛生コンサルタント事務所登録)所長となり、同五五年六月敬愛病院を開設常任顧問として現在に至っている。この間昭和四七年四月から同四九年三月の間石川県医師会予備代議員となり、同五五年二月衛生コンセルタント試験に合格している。前科、前歴はない。昭和五四・五六・五七年の三回、学校教育、民生、司法に功労があったということで紺じゅほう賞を授与され、なお昭和五八年に法務大臣感謝状を受けている。家族は妻欣子との間に長男(高校生)和之、長女(北里大学医学部研修生)がある。釣、園芸を趣味とし、煙草はピース一日約五〇本、ウイスキー水割一杯位を嗜む。

第五 (動機)

一、両事件を通じての動機

1 本件所得税法違反及び詐欺罪は、医師である被告人が病院経営に関して行った多額に上る事案であるが、過去及び最近に起きた医師の犯した悪質な事案に比べて、最も大きな相違点は本件の動機である。本件及び病院経営に関連して、患者に対して不当な医療行為が行われているような痕跡は全くないのみならず、かえって患者のためを考えて、医療及び病院経営がなされていた。

2 本件及び病院経営に関して、関係公務員に対する腐敗不正な行為が行われていない。

3 本件は患者や関係機関を犠牲にして、自己の利益を追求した行為ではない。すなわち、本件はいずれも、決して被告人が贅沢豪奢な生活や、そのための蓄財をするという動機でなされたものではない。被告人が老人に対する医療とその向上に精魂を傾け、被告人の病院に治療を求めてくる患者すべてに対し、十分な医療をしたいということが、本件の動機である。

二、(所得税法違反の動機)

1 被告人は、医療が趣味と言っても過言でないほどに、(原審証人平松昌司)、医療特に老人医療に情熱を傾けていた者であり、そのことが本件事案の動機そのものになっている。すなわち、本件所得税法違反の動機は、決して贅沢豪奢な生活をするとか、そのための蓄財をするためのものではない。同法違反当時大手町病院は、いわゆる老人病院の特色を有しており、老人の入院希望者が極めて多数で、押しかけてくるような状況であったが(検第一五四号捜査報告書添付の表参照)医療が趣味であると言っても過言でなく、老人に対し敬愛の念の深い被告人は、これら老人患者に対し少しでも良い治療をするため、清潔な病室を確保する外、最新の設備、優秀な医師、看護婦、看護助手の配置を期待し、病院建設の拡充、医療機械等の設備の充実を心がけた。その為、多額の資金を必要とする状況にあった。ちなみに、その詳細は後述するところがあるが、昭和四九年一二月頃に大手町病院の管理棟、病棟の増築が完了し、病棟ではこれ迄の鉄筋コンクリート四階建が五階建となり、更に五〇年七月に鉄筋コンクリート六階建一部七階建の増築工事が行われ、一般病棟も従前の一七四床(結核病棟六六床)から一般病棟三棟(二階乃至四階)二三四床、結核病棟五階全部に増床しており、同病院における備品の整備には、昭和五五年に四、三四九万円余、同五六年に一六〇万円の費用を支出し、また医療機械の整備強化の為五五年一、九八五万円余、五六年に二、五九〇万円、五七年三、〇八〇万円を支出している。なお、同五六年一月から多額の資本(合計後述一四億七三〇〇万円)を投下して、右大手町病院の近距離の場所に、敬愛病院(現在この病院も殆どが老人の入院患者である)を開設したのも、単に個人的利益を追求する事業欲とみなすべきものではなく、被告人の上記の様な老人に対する敬愛の念に発する医療の充実を願う気持ちがあってこそ始めて可能なところであり、以上大手町病院の医療機械その他の備品の拡充、強化及び敬愛病院建設の為その資金の調達に苦慮していたものということができるのであって、被告人が贅沢な個人生活を送りたい為の単なる利己的動機から本件所得隠しの所業に出たものではない。

2 右のような被告人の医療に対する情熱が本件事案の動機であったことは、検察官において冒頭陳述において「被告人はかねてから、患者に良い治療を受けさせるために、大手町病院等の人的、物的設備をより充実させることを切望していたところ、敬愛病院を開設するに当たり、その建設資金として株式会社北国銀行賢坂辻支店から九億円を借り入れたことから、所得の一部を隠匿して薄外資金を形成し、右負俵の返済に充てようとした。」と述べていることからもうかがえるところである。

3 本件所得税法違反の犯行時においては、特に大手町病院の入院患者も、一ヵ月約四二六名から約四五〇名余(その約八割は老人患者)を数え、更に多数の入院希望者があり、同病院だけでは、到底このような要請に答えることができず、医師としての社会的責務を果たすことができないと考え(原審における上口昌徳第一〇回公判、同大戸宏第九回公判、同平松昌司第九回公判における各証言)大手町病院の外に多くの病気の老人の入院を可能とするような新たな病院(敬愛病院)の新設を計画するに至ったのである。被告人は敬愛病院の建物建設用地として、昭和五二年三月頃これを確保し(弁第七九号土地登記簿謄本)、その後同五五年一・二月にかけて同病院の建物として、鉄筋コンクリート造陸屋根地下一階付七階建建物を建築し(弁第八〇号建物登記薄謄本)、同年六月一日敬愛病院を開設したものであるが、同病院の開設に要した資本は、建物建築費一一億二、七〇〇万円、医療機械器具、備品の整備費三億四八〇〇万円の合計金一四億七、三〇〇万円を要している(被告人の陳述書一九頁)。

同病院の昭和五九年一〇月三一日現在の入院患者総数二五四名中、七〇才以上の老人患者は二二〇名(八七%)である(弁第二〇号証明書)。

4 大手町病院自体についても、被告人は昭和四二年一二月から同五〇年八月にかけて三回にわたり、改築工事を実施し、第二期の改築工事(同四九年一二月)にその工事費約三億円、第三期改築工事(同五〇年八月)にその工事費一億八、〇〇〇万円を投下していることが認められる(原審における証人宮下正次の証言、被告人陳情書第一の四~八頁)。

5 税理士地藤久治作成に係る昭和五五年から同五七年までの三年間の大手町病院の建物、車両、医療機器備品についての「年別投資額調査表(弁第一四号)によると合計一億一、〇二三万二、五五〇円を使っていることが認められ、又同人作成に係る敬愛病院の前同様期間における「年別の投資額調査表」(弁第一五号)によると、右三年間に同病院の建物、構築物、機器備品関係の費用として、合計一五億五九万八、五〇〇円を支払いしていることが認められる。以上両病院関係の二口の投資額は、総計一六億円一、〇八三万一、〇五〇円となる。

6 ところで、被告人は右敬愛病院投資資金として(株)北国銀行賢坂辻支店から、昭和五四年六月三〇日から翌五五年二月一五日迄の間に、前後六回に亘り、合計金九億円を借入れているが、この借入金は同年七月一九日から、同五七年一〇月二三日迄の間に、全額返済されていることが認められる(弁第一〇一号敬愛病院建設資金借入明細)。

7 以上のとおり、被告人が本件所得税法違反で三年間に夫々所得隠しを為し、それによって免れた所得税合計八億一、四三五万一、九〇〇円の金は、大手町病院の建物、医療機械等の整備資金や、敬愛病院の建資金の一部又は同建設資金の借入金の返済に当てられていることが認められる。

三、(本件基準看護加算金の不正受給に係る詐欺事件の動機)

1 本件詐欺は、被告人が豪奢な生活や、そのための蓄財をするという動機でなされたものではない。そのような金銭欲のために、基準看護一類の申請をしながら、雇うことのできる看護婦をわざわざ雇わないで、看護婦数及びそれに伴う人件費を少なくすることによって、敢えて不法に基準看護科を取得することを敢行したというような事案ではない。本件基準看護一類の看護加算金の受給は、以下に述べる諸事情、経緯によって患者本位の立場でなされたものである。

2 本件に至るまでの社会的背景として、前記のとおり、

(1) 高令化社会が進行し、老人が増加していた。

(2) 高令者の罹病率が上昇し、老人患者が増加していた。

(3) 寝たきり老人又はボケ老人に対する各家庭における看護の困難性が強まっていた。

(4) 医学及び医療機器施設の進歩により、家庭におけるよりも、病院での入院治療の必要性が増加していた。

(5) 以上の結果、当然に、高令者の入院希望者が増加していた。

(6) しかも、核家族化の進行及び高令者の経済的能力不足の実情から、自費で付添看護人を付けられない老人入院希望者が増加していた。前記厚生省の「五十九年厚生行政基礎調査」によると、公的年金を受している者は一、五一三万六千人で全人口の一二・七%を占め、ほぼ八人に一人の割合となっている。年令別にみると、六〇才以上では八二・三%、六五才以上で九二・三%が受給している。国民年金がもっとも多く、つづいて厚生年金、福祉年金となっている。不十分と言わざるを得ない現行の年金制度の下で、高令の老人にとって入院付添費用を捻出する余裕は到底考えられないところである。

(7) 日本の、医療制度全般についての民間依存型の特色及び石川県における老人福祉対策の遅れ等の事情から、高令者の入院希望者は、本件大手町病院のような限られた私的病院に受け入れて貰うしかなかった。

(8) 一方において、看護婦の絶対数は不足しており、私的病院で看護婦を確保することの困難性は強まっていた。

等の諸事情が存在していた。

3 本件に至るまでの、大手町病院における経緯として、次のような事情があった。

(1) 前述のような社会的背景の下に、大手町病院には、昭和四八年一月以降特に老人の入院希望者が遂年増加しており、しかも右入院希望は患者本人は勿論のこと、その家庭においても甚だしく熾烈であった。

(2) 被告人は医師として、医療行為に極めて熱心であり、とりわけ老人に対して親切で、思いやりの深い人物であり、老人医療に並ならぬ情熱を抱き続けていた。

(3) 右のような人柄の被告人としては、前記のような病気老人の入院希望者を容易に断り切れない実情にあった。断れと言う方が無理というべきであろう。

(4) 大手町病院は昭和四三年二月基準看護二類の承認を得ているが、その前からも、被告人が岳父井村重雄当時から、いわゆる「完全看護」の病院として、患者が自費で付添看護人をつけなくても、同病院において完全看護を実施する病院経営を行い、右のような患者の希望を受け入れて、患者の治療を全うしてきていたものである。

(5) 昭和五三年四月から、基準看護二類が廃止となり、基準看護一類か、無類で基準看護一類の承認を受けないかの択一が迫られた。

(6) この当時の病院経営の実情からみて、基準看護の承認を受けないで、自費で付添人を付けられない老人患者を受け入れて、完全な治療看護を実施する病院経営は、甚だしく困難であった。

(7) 結局、国公立病院等他の病院から入院を断られているどこへも行くところのない、そして付添人も自費でつけられない入院希望の老人患者の入院を断って、基準看護を受けないでおくか、基準看護を受けて、これらの入院希望患者を受け入れるかの二者択一に迫られていた。

四、当時の老人患者の実情及び看護の実情について重ねて詳述すると以下のとおりである。

1 被告人が昭和四七年三月二三日本件大手町病院の開設者及び管理者となった当時においても、大手町病院は既に老人の入院患者が多かったのであるが、その後同四八年一月老人福祉法の改正を契機として、遂次老人の入院患者が激増し、同五三年四月一日以降一般病棟二三四床に付、基準看護一類、結核病棟六六床に付、基準看護二類の承認を受けた当時は、大手町病院の実際の入院患者数は、毎月四〇〇人を超える状況で、特に一般病棟については、その入院患者の多くは、病気の高令者で占められるという実情であった。更に昭和五六年一〇月一五日以降一般病棟三八〇床に増床(この時結核病棟廃止)し、且つ石川県知事から基準看護一類の承認を受けた後においても、病気老人の入院希望者がおびただしく、しかも常時四〇〇人を超える高令者の入院患者中、その約八割が、いわゆる寝たきり老人及び痴呆性老人(ボケ老人)であり、大手町病院はいわゆる老人病院の特色を一層明確に現して来たのであった。

2 被告人は老人に対し、敬愛の心情が厚く、病気老人の入院患者の為身を粉にして仂くタイプである外、近代医療を身に付けることにも格別の熱意を有し、学会やシンポジウム等にも欠かさず出席し、近代医学の知識や技術の修得にも不断の努力を続け、その人生を病人の医療看護に捧げているものといっても過言ではないことが認められる(原審における証人大戸宏、同平松昌司の第九回公判における各証言)。

被告人が同五三年四月前記のように一般病棟二三四床に付、無類制度が廃止の気運にあったことを機会に石川県知事から基準看護一類の承認を受けたのも、全て入院治療看護を要する病気の老人のことを考えて措置したものであることが肯認できるのである(弁第一〇〇号被告人陳述書)。すなわち、当時国公立の病院等に入院している病気老人が病状が重篤になったり、ボケ症状が進行した場合、入院先の国公立病院等は、患者又はその家族に対し自費で付添婦を付けることを求め、それが困難な場合は、自宅に引き取るよう暗に強要するという状況であった為、その措置に困った患者の家族が、国公立病院等をはじき出された病人を、是非大手町病院に入院させて欲しいという熾烈な希望を有し、又行き倒れ老人や、病気の独居老人等については、県下各地の市町村民生課、福祉事務所又は婦人団体等からも、これらの病人を大手町病院に何とか入院させてほしい旨の申出もあった(原審における証人岡本八重子第六回公判、同上口昌徳第一〇回公判、同清水ヨシ子第八回公判における各証言)。そのような際にも、被告人は医師としての立場から心良くこれを引き受けて入院させて、優しく看護介護するという態度であり、しかもいわゆる完全看護の立場から、これら薄幸ともいうべき気の毒な病気老人や家族に対し、自費で付添婦を付けることを要請せず、大手町病院の従業員である看護助手(年配の女性看護助手)をして医師或は看護婦の指導監督の下に、たれ流の糞便によごれたおむつの取り換え、その他下の世話、身体の清拭、食事の介助等の介護活動に従事させ、その為患者や家族から大変喜ばれ感謝されているという状況であった。原審における証人大戸宏は被告人のこのような態度に関して、「彼(被告人)はホスピスのほんとうの道に取り組もうと、こういう意気込みが十分あったというふうに思います」と証言(原審第九回公判)している。

3 右のような状況下において、前記昭和五三年四月の一般病棟の二三四床に付、基準看護一類の承認申請を、更に同五六年一〇月一般病棟三八〇床に付、同様一類の承認申請を各石川県知事に提出し、当時夫々同知事から申請通りの承認を受けた時期には、夫々既に多数の入院患者を擁している場合であっても、被告人は前記のような国公立その他の病院から敬遠され、はじき出された病状重篤な老人患者や寝たきり病人、身寄りのない独居老人を引き取り、看護、介護することが医師としての責務であるとの使命感を有し(前出原審における証人大戸宏第九回公判証言)、正規の看護婦数は足らなくても、絶えず不足する看護婦の充足に努力する傍ら(前出被告人陳述書一八丁裏)、自ら陣頭に立って、在籍看護婦及び看護助手(見習看護婦を含む)、又は雇い医師団を叱咤激励して、その協力により、正規の数の看護婦を擁している国公立病院や行政庁の施設に、優るとも劣らない看護、介護(原審における証人平松昌司の第九回公判における証言)をなし遂げるという自身と信念を持って、大手町病院に気の毒な病気老人、特に寝たきり老人、ボケ老人を受け入れて大手町病院を運営し、他方在籍の医師、看護婦、看護助手も被告人の上記のうな使命感、信念に感化されて、多少の労働過重もいとわず、被告人の期待に応え、常時ベッド数をオーバーする程の入院患者、特に老人の入院患者に対する医療上欠けることのないよう看護し介護して来たものである(原審における証人岡本八重子の第六回公判における証言)。

4 本件詐欺罪の犯行時期の一年前の昭和五五年一月から、犯行最終時点近くの同五八年七月までの間の大手町病院の毎月の入院患者は四三六~七名から四五一~二名(最も多い月は四五五~六名に達した月も若干存在する)いたことが認められる(検第一五五号捜査報告書)。他方その間における看護婦及び看護助手の数は、正看護婦、準看護婦は、夫々正規の数を満たしていないが、看護助手については見習看護婦(主として看護学校に通っている者)が一番少ない時で二四~五名(たとえば、五五年一月二五名、同年三月二四名)、一番多い時が五七名(同五六年四月及び五月)で、特に五六年七月から同五八年七月迄は、毎月三三名乃至四六名を雇入れており、「おばさん」といわれる看護婦の資格のない年配の女性の看護助手については、少ない時で二二名(同五五年一月)、本件詐欺罪の五六年一月から同五八年七月迄の間は、毎月二八~九名乃至三六~七名を確保していることが認められる(検第一五九号捜査報告書)。而して、前記見習看護婦の看護助手は年も若く病院の勤務時間も比較的短いのであるが、これらは、資格ある看護婦の指導のもとに、その補助をする外、おばさんといわれる看護助手の入院患者の世話、特に食事、寝具、寝衣の着替えの手伝い、体位の転換、身体の清拭等の比較的軽度の世話については、おばさん達の指導のもとに、これを手伝うことは可能であったと認められる。そして右おばさん達ないし見習看護婦について、前記の如く本件詐欺罪の犯行時期においては、看護助手の正規の数を上回る二倍乃至三倍の人数を、被告人は常時確保していたことが認められる。

5 「老人保険法の解説(弁第九号、老人の特性(1)心身上の特性七六四負以下)は、次のように説く。「昭和五〇年の国民健康調査によれば、老人の有病率は成年層の五倍に達し、同五二年の老人健康調査によれば、医師による精密な診断の結果、治療を要する老人は半数以上に達している。また老人の疾病は、………長期慢性化しやすいものが多く、また、幾つもの疾病が同時に存在し、更に、生理的老化と疾病が共存するため複雑な病状が現れやすい。次に疾病に罹患した場合、治ゆ後も何らかの機能障害を残すことが多い。また、たとえ疾病に罹患しなくとも、老化により日常生活の適応能力が低下していくため介護を要する状態になってくる。」

日野原重明「老いを創める」(弁第一〇七号)は「今日の日本の老人医療は、ピントがはずれている。老人には、検査や薬より、訴えをよく聞いてあげ、世話(ケア)することが一番大切だ」(なおこの点については、弁第六〇号「高令者問題の現状第4章第三・四節参照)「人間がもつ温かい思いやりの感情は、痴呆老人にも伝わるものである。患者を愛し、温かく抱擁する態度でケアをすると、ボケ老人も心を開く。

老人に昔話を思い出させ、その思い出を分かち合おうとする態度も、老人の心をなごませ、病気の進行にブレーキをかけるのに効果があろう。」「痴呆老人は、発病後の余命が短い。……痴呆老人も第二の幼児だと考えて、家庭にあっても、施設にあっても、温かい心を言葉と態度で示しながら看とり、保護したいものである」「老人には、完全に治療できない老化現象や慢性の病気がほとんどの人にあるが、これは関節を温めたり、入浴させたり、体の表面や陰部を清潔にしたり、頭髪を洗ったり、老人が心身ともにさっぱりして気力を出させる手段や励ましの言葉こそが、一人で悩みがちな老人の心を支えるのである。云々」と説く(一五一頁一六九頁)。このようにみると、病気の老人の世話は、おばさんと言われる看護助手の活動の中心である。

(証人岡本八重子の原審第六回後半における証言。同荒川敦子の第八回後半における証言)。被告人もも「看護婦(有免許者)は不足しているが、老人の場合、左程高度な看護技術を必要としないものが多く、看護助手(介護人)でも、看護婦の指導のもとで、充分その役割をはたすことができる思い、又実際上その通りですが、不足看護婦は、看護婦の希望者があれば勿論補充するのですが、絶対数として不足しているので、看護助手を多数採用し、看護、介護に当たらせ介護の万全を期し、日夜努力してきました。老人痴呆、寝たきり老人は、精神的知能低下が著しく、その精神的な症状は自分の気持ちを受け入れられ、安心する事を求めている。思うようにならない事に対して我慢する力が弱い。「苦」を回避しようとする。環境の変化に対して敏感である。周囲の実情を敏感にキャッチし、微妙に反応する。プライドが傷つきやすい。自分のペースを固守しようとする。何でも良いから「やりとげたい」という要求をもつ。生きたいという願望がある。不自由に苦しんでいる。このように色々な症状があります。重要なことは受容的な態度で接し、患者の言動の意味を理解するように努める。ボケ老人も人として尊重することであります」旨その心情を吐露している(前出弁第一〇〇号陳述書一三項)。大手町病院に入院していた病気の老人、特に前述のとおり、その入院患者の八割が寝たきり老人、ボケ老人であったという実情見れば、このような入院中の老人患者については、看護上絶えず著しく体調を崩す事のないよう診察治療上配意することは勿論必要であるが、概ね心安らかにして余生を送らせることが、肝要であるというべきであろう。そのためには、医師看護婦による医療行為も大切であろうが、更に老人の入院患者の処遇につき肝要なことは、被告人は永年の経験に基づき「重要なことは、受容的な態度で接し、患者の言動の意味を理解するように努める。ボケ老人も人として尊重することである。看護にあたっては、相手のペースに合わせる介護、適度な刺激を与え孤立させない。規則正しい日課は必要であるが、無理に押しつけず、柔軟な対応に注意し、身の廻り、環境を清潔にし、体も清潔に払拭することが大切である。又寝たきり患者には、衣類の着脱、食事の介助、床ずれの防止、体位の交換、全身清拭、入浴の世話、リハビリに連れて行く、洗顔、ひげそり、爪切り、糞尿の世話、オムツ交換、妄想興奮、不潔行為、やたら歩き廻る等に対する監視介護が必要であり、更には、床づれ、心不全、尿路感染症、老人性肺炎等も併発するため、充分な看護が必要であるが、これらの大方のことは看護助手(介護人)で充分に目的が達成されると思っている。特に若い看護婦では、とても気付かない老人の精神的悩み等に対し、きめ細かい配慮は、却って年配の看護助手の方が適当でないかと思う。とに角、基準看護病院である故に、費用患者負担の付添婦をつけず、病院で全部責任をもって看護介護せねばならないということが私の信条でした。今日では、別居や共稼ぎの家庭が多く、自費で付添婦又は派出看護婦をつけられる余裕のある家庭は極一部しかない」旨老人の看護介護の姿を説いている(前出陳述書一三丁裏)。

第六 詐欺の犯意について

以上縷々述べて来て、弁護人は、「被告人は、基準看護に必要とする看護婦の数が不足しているにも拘らずその事実を偽り基準看護料を騙取したとの事実に関し、看護婦の不足は看護助手を以てカバーし、その実質は基準看護と同等のものであると信じていたのではなかろうか」との疑問を禁じ得ないものがある。すなわち基準看護料を騙取するとの認識は無かった、少くとも極めて「薄かった」のではないかとの感を深くするものである。とすれば、本件は「行為者(被告人)がその事実を法律上違法でない許されたものと誤信し而もその誤信したことについて相当の理由があってその者に過失の認むべきものがない場合」であり、被告人ならずとも「何人に対しても違法の意識を期待できない」場合に該当するのではなかろうか。前出の各証拠かもその片鱗がうかがわれるのであるが、更にこの点に関し法廷に顕出を検討することとする。一部前出との重複をご了承願いたい。

一、まず被告人の供述をみることとする。

1 昭和五九・五・一九検面調査書(検第三二三号)の供述記載

一 昭和五三年三月末頃基準看護二類が一般病棟につき廃止となり一類のみになることを知り、当時二類の要件すら満たしていないことは承知していたものの、現実に受け入れ先のない寝たきり老人を多数抱えており、それを人数的には全て不足していたものの、曲りなりにも付添人がなくても良いような看護をしているという自負があったので…詐欺とか「だまし取る」といった言葉自体には若干抵抗があります。

二 大手町病院は寝たきり老人が多く、いわゆる「助手」のおばさんでも賄い切れる面が多く、確かに基準看護一類の要件を満たしていないことは承知しておりましたが、内容的には十分な看護をしていると考えていたので、一類の申請をしてもよいだろうと甘く考えてしまっていたのです。

2 陳情書(弁第一〇〇号)の記載

一 看護婦(有免許者)は不足しているが、老人の場合、左程高度な技術を必要としないものが多く、看護助手(介護人)でも看護婦の指導のもとで充分その役割を果たすことが出来ると思い、又実際上その通りですが、不足看護婦は看護婦の希望者がおれば勿論補充するのですが、絶対数として不足しているので、看護助手を多数採用し看護介護にあたらせ、看護の万全を期し、日夜努力して来ました。

二 寝たきり患者では、衣類の着脱、食事の介助、床ずれの防止、体位の交換、全身清拭、入浴の世話、リハビリに連れて行く、洗顔洗髪、ひげや爪切り、糞尿の世話、オムツ交換、妄想興奮不眠不潔行為、やたら歩き廻る等に対する監視介護が必要であり、更には、床ずれ、心不全、尿路感染症、老人性肺炎等も併発するため、充分な看護が必要ですが、これらの大方の事は看護助手(介護人)で充分に目的が達成されると思っています。特に若い看護婦では、とても気付かない老人の精神的な悩み等に対し、きめ細かい配慮は、かえって年配の看護助手の方が適当でないかと思います。

三 大手町病院の入院患者、特に寝たきり老人、ぼけ老人の心身の特色、これに伴う看護介護の特異性からして、形の上で正規の看護婦が多少不足しても、それを在籍の看護婦、私を中心とした医師団の努力でカバーするほか、入院患者に対し、愛情を持ち、いわゆるスキンシップ的な身の廻りの世話をする看護助手(年配の女性)を正規の枠以上の数を確保配置すれば(大手町病院では現実にこの種の看護助手は常時三〇名前後確保していました)、入院の老人患者の医療看護上けっして欠くるところがなく、万全を期しうるものと心固く信じていました。私は当時は勿論今でも基準看護で大手町病院は入院の老人の患者に対し、他の病院がなしている以上の手厚い看護介護をして来たと確信しています。

四 加算で不正にもうけてやろうなんという事は本当に考えていませんでした。

3 昭和六〇・六・三原審第十二回公判における供述。

一 私は、初め実際問題として、この基準看護を十分にやっておったわけですから、それに対してそれが違法性があるというようなことはあまり思っておらない。勿論そういうことを思っておったら、私はその基準看護の申請も、まあ、やむを得ず一類にせなきゃならなかったんですけれども、それもやらなかったと思いますし、でもやはりそうなった場合には今までそういう付添いを付けないで看護をするというのが基準看護の大体のやり方なんです。

二 今考えてみるとこれは規則に違反したことをやったとおもって反省はしておりますが、しかしそのときはやむを得なかったと思っております。ということは今それを全然廃止したということになりますと、付添い付けなきゃならんということになりますし、また今までおったいわゆる介護人とかそういう者もある程度やっぱり整理してしまわなきゃならんし、患者の選択というものがやはり考えにゃならんということになってくると、大変な社会的問題じゃないかと、こういう具合に思いました。また看護婦さんにしても、基準看護が許可になっておるから、まあこれだけの看護をやはりして手厚い看護をせなきゃならんということですけれども、基準看護でなくなったら、おのづから基準看護でないからそうようなことの手厚い看護といったら語弊がありますけれども、それほどまでにせんでもいいんじゃないかというふうに皆さんが思ってその点がなかなかうまくいかなかったんじゃないかと思います。

三 最終的な知事の承認の病床は三八〇床だと、だけれども、それを守っておったんじゃそういう困った患者を入れられない。

四 むしろ患者からも家族からも感謝されておりまして、社会的になに一つ投書されたりそういうことはないんです。

五 無類にするということになれば、とにかくここは基準看護でない病院だと従業員全部がもうそういう具合に思ってしまうわけです。

六 (裁判官の、丸の内病院になって現在無類になった段階で従前と同じような手厚い看護、介護はできておるわけでしょう、との問いに対し)これについて老人指定病院ということになった場合に、特定収容料というものが最近一年前から、去年、おととしですか、一回二、三〇点というものが付くようになったんです。やはり厚生省のほうでもこういうことをしておったら基準看護でなくても…こういう面倒な老人、指定老人収容料というものがわざわざ新設されたわけです。それを役所のほうでもお認めになったようなことなんです。

二、証人上口昌徳の原審第一〇回公判における証言。

1 これも現在の医療制度の重大な欠陥の一つであるが、長期入院患者の医療手当の点数が…特に老人は一週間後にその点数が減っていくわけです。入院させておくと経営が非常に成り立たないという矛盾した仕組みの中で、できるだけ早く退院させたいということを特に公立病院は患者に強要するような形になっている。…付添いは日当一万円から一万五千円くらいであるから、一ヶ月に約五〇万から六〇万円の負担に耐えられる人たちは国立病院に入っております。…小さな町の病院の皆さん方は…大手町病院のようにして救ってくれておる病院があることが非常に助かっておるということをおっしゃっています。

2 看護婦は非常に公立病院のほうへ行きたがって民間の病院が看護婦を確保しようとした場合に難しかった。

三、原審証人大戸 宏原審第九回公判における証言

大手町病院に老人の病人が入院を希望する理由は、第一は院長である土用下さんのポリシーと申すか多少無理であってもかわいそうだから受け入れようといった形。それから患者の側ではむしろ身内のない、引受人のないような老人を押してつけるといいますか、又相当裕福な家庭でもまあ邪魔になったと申しますか、大手町にくっつけておけば安心だというような感じ、その裏にはやはり親切で、また、できるだけくるくる働いて院長先生自らがそういう親切な方であるというような定着した一つの見方というのがあったんではなかろうかと思います。

四、原審証人平松昌司原審第九回公判における証言

1 (定員オーバーについて)実は患者さんが多くなれば待合室とかいろいろ入れて医療をするのがまあ昔からの常習といいますか常識としてそれが普通だったんですね。私らははいりたい患者がいたらできるだけ入れやるというのが本来の医者の常識だというふうな教育といいますか、そういうようなところからずっと育ってきました。

2 世の中世知辛くなりまして夫婦共稼ぎとかいろいろなことがありますし、それから子供の受験のためとかそういういろいろなことで老人の面倒をみるということがなかなか難しくなっております。…官公立とかそういうところでも大きなところでも看護婦一人が四人の患者をみるという態勢を整えておったところでも、ほんとうは十分なことはできませんです。重症になったり手がいるようになれば、あるいはぼけてくるとか、夜中にどこか外でも歩き回ってしまうとか、大きな声を上げるとか、昼寝ておって夜起きるとかそういういろんな患者が来ればもうほとんど退院させられます。…その付添いを付けるとなれば普通今まででしたら一日一万円ぐらいいるそうですから、それの負担に耐える家庭が少ないわけです。

3 (老人の入院患者を受け入れるのは)一般的に見まして大手町病院以外なかったと思います。大手町病院の特色は、だいたい私らが送りますのも、おむつを替えてくれるんですね。おしっこをしたいと言っておってもなかなか看護婦さんが来てくれない。大便が出て来てもなにもしてくれない。あるいはそのままにして長い間おかれると。大手町病院でしたらおむつを替えてくれるということが一番の特色だったと思うんですけれども…。付添えなしで最後まで面倒をみてくれるそういう病院がまず大手町病院だったんですね。私の聞きますところでは、くさいし汚いし面倒なことをしなきゃいかんというわけで、まず若い看護婦さんは嫌われて少ないんじゃなかと思いますけれども、特にそういう評判がありますから、看護人もどちらかというと集まらないんじゃないかと思います。

五、原審証人吉村敞の原審第四回公判における証言。

1 (看護婦の発堀について)土用下院長のほうでいろいろな努力をしていたが、成果はほとんどなかったように思います。特に潜在看護婦の場合にはまあアタックしてもほとんどノン回答が多かったと思います。

2 看護婦の絶対数は不足しておりました。

3 (退院の勧告して入院の患者数を減らせないかということについて)…頼まれればいやとも言えないと、まあいろんなコネを通じて「ひとつ頼む」と言われれば、無下にも断れんと、それから今実際的に現実的にですよ、どこも引き取ってくれない患者がたくさんいるわけですね。そういう患者に頼まれれば、やっぱりやむを得んだろうなということですね。

4 金大付属病院(国立)とかいわゆる国立病院それから県立中央病院、金沢の市民病院そういうところでは老人を収容したがらないというよりは要するに完全看護の近いものができ得ないということと、もう一つは老人性痴呆については精神病院の収容の対策でないので、これの取扱いについてはいずれの病院も非常に苦慮しておったわけです。

5 (県の行政当局としては不足の看護婦を充足するために総合看護学院をつくって養成に励んだり、医師会がつくった準看護養成機関の石川県養護学院を県が直接運営するようになったり、あるいは潜在看護婦を発掘してそれの再訓練をしつつ現場復帰させようというふうなことはやっておりましたが)成果はちょっと、特に潜在看護婦の再発掘就職については成果は上がっておちなかったと思います。

6 患者は、見習看護婦についてはほとんど感情をもっておらないと思いますけれども、看護助手に対しては感謝の気持ちはもっておったと思います。

7 老人が多いわけですから、いわゆる介助介護を要する患者が多いわけですから、看護婦その他の絶対数が足らないわけですから、どうしても看護助手でせめて補充しておかなければどうにもこうにもならなくなりますから。

六、原審証人宮下正次の原審第五回公判における証言。

1 昭和四八年に老人福祉法の改正で老人の医療費が無料になるという制度ができてからはよけい入院を希望される方が多くなったと思います。年令は老令でなくても結局体が自由がきかないというような患者さんもけっこういた。

2 最近では一般の家庭でお年寄りが病気になられたり痴呆症みたいなのが出ても家族でみられるというケースがだんだん少なくなってきたわけです。…家庭から頼まれるケース、それからよそにはいっていて中には公立の病院にもはいっていて、そこを退院をするように言われて今日さっそく出てほしいと言われるんやけどどこも行きようがない。家には引き取れない。なんとかしてほしいというようなケースでおいでた方もけっこうあるわけなんです。…老人医療に該当する患者が増えて金沢の市役所なんかからでもけっこうそういう患者さんはうちのほうへ希望をということで、どこも引き取ってもらえないんでというケースが沢山ありました。まあその患者さんは、県の中央福祉とか県下のいろんな福祉事務所のあるところなんかからも、郡部なんかからも来たという方である。

3 (老人患者については)治療ももちろんありますけれども、そういう日常の介護といいますか食事介護からおむつなんかの取替えそういうことが多いんです。自分でほとんどできない方が大部分なんです。

4 資格のある人も当然だと思いますけれども、実際その仕事に当たられる方にとっては、資格がなくてもそういうことについて熱心であれば、そういう方が沢山いてもいいんじゃないかと思います。

5 感謝される声は聞いても不満というものはあまり聞いておりません。

6 現実の問題として…それ(基準看護)がなくなった場合に、今度付添いをつけてもらわなければならんとか、あるいは費用をある程度負担してもらわなければならんということになってくると、実際今まで入っておった患者さんにとってはそういう経済的な負担は大変だということです。

7 それでその看護(基準看護)があるということで、看護助手の方なんかもそういった看護ということもできたんじゃないかと思います。一般の病院であればそういう気持ちもやっぱり違うだろうと思います。

8 それ(基準看護)があるということで看護婦なり看護助手の方なりが、これだけのことをしなければならないという、自分の仕事の上での気持ちというものが出てくると思うんです。それが無類でやっていくということになると、そこまでする必要がないということになるのじゃないかと思います。

9 実際上今確保している看護助手をずっと確保しながら継続的に体制を保っていくというこくとが大変困難になるということなんです。…無類だったら大手町病院であんなにたくさんぼけ老人寝たきり老人を受け入れるということは経営上難しいということです。

七、原審証人岡本八重子の原審第六回公判における証言

1 (老人の患者が増えだしたのは、)目立ったのは七〇才以上老人医療無料となったあのころだと思っております。その後はもうほとんど老人です。寝たきりのぼけ老人が多うございます。

2 もう自分の費用では付添いを付けられないという、そういう困った方が大手町病院に来られたということです。市役所の保護課、官公庁の病院、個人の開業医さん、婦人団体そういう方面が多うございました。…国立からも来ましたし、日赤からも来ましたし、県中からも来ました。

3 とても普通の開業医さんでは面倒をみられないという重症、痴呆度の高い人です。

4 救急車がいきなり持って来られるんです。その救急車はベッドがあってもなくてもどうしても処置をしなければ見るに耐えない患者が多うございました。またそこらで行き倒れの患者さんもよく持って来られました。でずっと病院を回って歩きましたけれども、どこもとっていただけない、何とかしてほしてと泣きつかれて持って来られた患者さんは老衰ですぐ処置しなければ死ぬような患者さんもおられました。大手町病院では院長はじめ皆が、そういうような患者さんを目の前に見ておりますと、損得にかかわらず、やはり医療業務はそのような方を助けなければならないというような信念に燃えておりました。

5 老人患者の身の回りというのは、看護助手の仕事が多うございました。

6 患者は四〇〇名くらいということになると、一応看護助手も含めると四分の一くらいはいるという態勢ではあった。

7 看護助手やみんなの協力で患者さんに不満のあるような看護態勢はしていなかった。

8 実質的に基準看護に恥じないような看護をしておった。

9 基準看護をしてあげられないということになると、おのづから付添いが必要になりますので、無類になると困ると思いました。…患者さんの種類が老人でボケ老人が多いということから、若い看護婦にはあまりおもしろくないということと、華やかでないということと、話をしても相手に通じるような患者さんじゃないのでどうしても若い人には、敬遠されると思います。

10 無類になると病院側はそのおばさん方を雇用しないかもしれませんです。無類になればそんなにたくさんの人員はおかないと思います。自然と病院の経営上辞めさせざるを得ないということで、それで患者の看病についても手薄になってくると、その結果が患者に対して付添えを要求したりするんだということです。

八、原審証人安部健吉の原審第七回公判における証言

高令の入院患者は九五%以上で寝たきり老人は二〇〇人余(ベッド数二七〇)であります。五年以上入院している者が四三人、二年と三年はもう沢山います。付添えは食事付きで一日一万円は下らないと思います。

九、原審証人荒川敦子の原審第八回公判における証言

1 看護助手の仕事というのは、オムツの交換が主な仕事ですけれども寝具の交換とか、体を拭くいわゆる清拭もします。

2 (年寄りの患者)というのもありますし、おうちの方から邪魔にされたような形で入って来られたような方がとっても多いものですから、最初はかわいそうだなという気持ちと、それからだんだん愛情が移っていって、なんかかわいいなというようなそんな気持ちで接しています。

3 (看護婦が足りないことについて)看護婦さんがたりないということは現実に私どもには分かりませんので、自分達の仕事面ではそんなに足りなかったとは思いませんけれども。

十、原審証人清水ヨシ子の原審第八回公判における証言

1 (土用下院長は)日ごろから大変仕事熱心な方で患者さんに分けへだてもございませんで、貧困な方でも、どんな重症な方でも、もうそれこそ救急車が来てでも断るということなしに、いつでもできるだけ入院させてあげるように言われまして、私らもやっぱり見るに見かねまして家族の方々が頼まれたり、どうしてもと泣きつかれたりしますと、つい嫌やと思いましても入院させました。

2 (老人の患者というのは)状態としては脳軟化とか動脈硬化とか半身不髄とか、それから老人性痴呆症とかいう患者さんが多うございました。…もうそれこそオムツをばらまいたり、自分たちが一部屋に入っておりまして、そして人のし尿を触ったり、食べたり、自分のがでもそこらじゅうばらましたりして、それらを看護婦やおばさんたちで世話をしてきれにお尻ふいてあげるんですけれども、またしてもそんなことをしたり、看護婦がつねられたり、たたかれたりしたことがよくありました。

3 看護婦の数が足りないというて患者さんとかその家族の方から不満など言われたことは一度もありません。「お蔭さまで本当に助かっております」という感謝の声は聞いておりますけれども、そんな不足なんて言われたこともございませんし「ここの先生は上手な人で本当に私ら安心しております」というこうは聞いております。

上記各証拠を総合すると、本件当時大手町病院においては、被告人を中心として、常時ベッド数をオーバーする程の入院患者、特に老人の入院患者に対する医療上、いささかも欠けることのないよう看護し、のないよう看護し、介護して来たものであり、この点において被告人は形の上では、正規の看護婦が不足することの一応の認識はあったものの、本件詐欺罪については実質的違法性の認識はなかったものと認められ、被告人が右の如き実質的違法性の認識を欠くことについて、当時の老人医療の現状、これに対する医療機器の対応、関係行政機関の対策等の実情に艦みるとき、被告人以外の者が大手町病院の責任者の地位にあっても、被告人が執った措置以上のことを期待することは出来なかったものと謂わざるを得ない。この点に関し、検察官は、昭和五三年四月の一般病棟二三四床につき、基準看護一類の承認方の申請書を提出するに当たり、当時大手町病院看護婦の筆頭者であった岡本八重子から看護婦が不足しているのに、無理して基準看護一類の承認を取らなくてもよいのではないかとの申出を受けながら、被告人はあえて、これらの申出をしりぞけて、在籍看護婦の数を水増しした偽りの書類を作成させ、当時一般病棟に付、知事の基準看護一類の承認を取りつけた点を指摘するが、右岡本八重子の検察官面前調書及び原審第六回公判廷における証言によると、同人等の申出のあった際、被告人は基準看護一類の承認をとり、いわゆる完全看護の態勢を維持しなければ、入院患者や今後入院を希望する病気の老人やその家族に大変気の毒だ、大手町病院は、これ迄も、正規の看護婦数を擁している国公立の病院やその他の病院に、優るとも劣らないほど十全な看護介護を為しているのではないかとの自信と実情を訴えて、一般病棟に付基準看護一類の承認方申請に踏み切った経緯も認められるので、右岡本八重子の申出の存在は、被告人が本件詐欺罪に付、実質的違法性の認識がなかったとの見解を妨げるものでない。

原審判決は、本件の場合には、被告人に違法性の意識があったことは明らかである旨判示するが、上記各証拠に照すときは「明らかである」とすることは到底できないところである。原判決も指摘する如く、被告人は、原審第二回公判にといて「基準看護科加算近の不正受給による詐欺を働こうとする犯意は、甚だ薄かった」旨陳述していることは、原審判決がいうが如く「犯意があったことを認めている」ものではなく、かえって詐欺の犯意が確定的なものではない換言すれば犯意がなかったものと認むべきものである。

第七 (違法性の意識について)

原審判決は、「犯意の成立には、犯罪構成に必要な事実の認識があれば足り、それが違法であることの認識を必要としないから違法性の意識の存在を故意の要件とする所論は失当である。」旨判示する。しかしながら、故意の成立に違法性の意識を要するかどうかについては学説判例上いろいろに論争されており、学説の多数説は、違法性の意識は不要だが、その可能性は必要であり、違法性の意識を書いたことについて相当の理由があるときは、犯罪が成立しない(故意が阻却されるとする立場と責任が阻却されるとする立場がある)。としており、これに対し、判例は大審院及び最高裁を通じて、違法性の意識はもちろんその可能性も必要でないとする立場を維持しておるところである。それにも拘らず、下級審では、違法性の意識の可能性がなかったとして無罪とした例が決して少なくない(後記)のである。このよう学説並びに下級審の一つの傾向に鑑み、この問題に関し、「故意の成立には違法性の意識の存在が必要である」とする弁護人の主張に対し、敢えて控訴審のご判断を仰ぐ所似である。

一、違法の成立には単に事実を認識するだけでなく、あくまでもその事実の実現の違法であることまで知らなければならない。その実現すべき結果が人間社会の法秩序に矛盾するものでないならば、もちろん強く非難されるはずない。すなわち違法な結果の実現を予知しつつ、それを実現すべき行為をするからいけないのである。とすれば予知の内容として重要なのは、実現すべき単純な事実でなくて、その事実が違法性を帯びているということなのである。従って故意の成立には単に事実を認識するだけでなく、あくまでもその事実の実現の違法であることを知らなければならない。

故意の重い責任を問うための前提として大事なのは適法、違法という刑法上の評価を離れた「単純な事実」の認識ではなく、その事実が違法だということを意識しつつ、あえてその行為をしたということにあるのだから「単純な事実」の認識はあっても違法性の認識がなかったら、無罪にしていいわけである。

二、故意の成立には違法性の意識があることを要しないとの立場はまったく取締の便宜に重点をおいている。

しかし取締の便宜などにこだわるのは刑法の理論を構成するうえに弊害を招くものである。

取締の便宜という問題は証拠判断で解決のつくことである。

「法の不知は怒せず」(I gnorantu juris nocet)という法律格言があるが、事実の不知は許されるが、法の不知は許されない。いわゆる法の不知の結果、違法性の意識を欠いていたとしたら違法性の意識がないという理由で故意の成立は否定される。違法性の意識があるならば、法規の字句は知らなくても故意は否定されない。いわゆる法律を知らないことによって違法性の意識がないことも多いであろう。その意識がなければ故意の成立が否定されることになる。法律の字句は知らなくても、違法性の意識があれば故意犯は成立するが、このような場合には、ときに犯人に同情すべき点のあることもあるから「情状に困り其刑ヲ減軽スルコトヲ得」という但書がついている。(刑法三八・Ⅲ・但書)

三、改正刑法草案(昭和四九・五)21条は「自己の行為が法律上許されないものであることを知らないで犯した者はそのことについて相当の理由であるときは、これを罰しない」と規定するが、この刑法改正の方向に合致した一連の判例が戦前旧刑事訴訟法時代に既に存在したことに注目したい。すなわち

1 大判昭和七・八・四刑集一一・一一五三

被告人ハ本件竹藤区有林ヲ代採スル当時井堰修繕用材ニ不足ヲ生セシメサル範囲ニ於イテ本件井堰立林ヲ自家用ノ為ニ伐採スルコトハ竹藤区ノ認許スル慣例ニシテ差支ナキモノト誤信シタルモノニシテ之ニ付相当ノ理由アリタルモノト認ムルヲ得ヘク従テ被告人ノ本件行為ハ罪ヲ犯ス意ニ出テタルモノト為スヲ得サルカ故ニ窃盗罪ヲ構成スヘキモノニ非ス

2 大判昭和九・二・一〇刑集一三・七六

被告人カ所論ノ如キ慣行ニ従ヒ判示場所に於テ漁業ヲ為スモ差支ヘナキモノトノ誤信シタルニ付相当ノ理由アリト為スヘキ何等ノ事跡ナキヲ以テ被告人ニ罪ヲ犯スノ意思ナカリシモノト為スヲ得ス

3 大判昭和九・九・二八刑集一三・一二三

原判示ニ依レハ右弁護士ニ於テ更ニ叙上示談契約ガ詐欺又ハ強迫ニヨル瑕疵アルモノナレハ右契約無効ノ通告及取消ノ意思表示ヲナスヘキ旨告ケタルヲ以テ被告人等ニ於テ之ヲ信シタルカ如キモ斯ル瑕疵アル示談契約ナランニハ須ラク国家機関ノ保護ヲ仰クヘク自己救済ヲ為スヘキモノニ非サルコト法律秩序、観念ニ照シ疑ナキヲ以テ犯意ヲ阻却スヘキ相当ナル理由ヲ欠如スルモノト謂フヘシ

4 大判昭和一三・一〇・二五刑集一七・七三五

縦シ被告人等ニ於テ右背任行為ニ出ズルモ差支ナシト信シタリトスルモ、是レ行為ノ違法性ニ関スル錯誤ニシテ其ノ錯誤シタルコトニ付相当ノ理由アリタルコトヲ認メ難キ本件ニアリテハ背任ノ故意ヲ欠キタルモノト為スヘカラス

5 大判昭和一五・一・二六法律新聞四五三一・九

所謂法律ノ錯誤ハ即チ行為カ許サレサルモノナルニ拘ラス許サレタルモノト信シタル行為ノ違法性ニ関スル錯誤トシテ解セラレ法律ノ錯誤ト雖モ其ノ錯誤シタルコトニ付過失ナカリシトキハ故意ヲ阻却シ過失アリタルトキハ情状ニ困リ其刑ヲ減免シ得ルモノト解セラレルニ至レリ

6 大判昭和一六・一二・一〇新判例体系刑法2・二五六ノ一五一

犯罪構成事実ヲ確認シタル者ト謂モ該犯罪構成事実ヲ実行スル権能若ハ権利アルト誤信シ又ハ法律上該犯罪ノ成立ヲ阻却スヘキ原由タル事実ノ存在ヲ誤信シ而モ其ノ誤信ニ付相当ノ理由アリト認メラレルルガ如キトキニハ何人ニ対シテモ、当初ヨリ違法ノ認識又ハ意識ヲ全然期待シ得サル場合ニシテ其ノ認識又ハ意識ニ道義上何等非難スヘキモノアルヲ見サレバ犯意ヲ阻却シ罪ヲ犯スノ意ナキモノト解スルヲ相当トスヘク是亦当院判例カ夙ニ同一結論ヲ採用スルトコロトス

7 長崎控判昭和一八・三・四法律新聞四八四〇・五

公定価格ノ制定セラレタルコトヲ知ラセル右部隊経理部当局者ノ要請アリタルトスルモ其ノ一事ハ被告人ニ於テ右公定価格超過販売行為ヲ法律上許サレタルモノト信スルニ付テノ相当ノ理由ト為スニ足ラサルニヨリ、被告人ニハ結局犯意アリタルモノト認メサルヲ得ス

四、われわれはこれらの判例が、その基本的態度として固執している見解によれば、違法性の意識を欠いたことが行為者にとって無理からぬ場合にも、故意責任を追求しなければならないことの不合理性を具体的事案の解決を通じて感じとり、ここから責任主義をつらぬこうとする意図があったことをみとめるものである。前掲の一連の判例の見解はその後の判例によって否定され、大審院は法律の錯誤は故意を阻却しないとする見解を固執するに至っているが、その理由はおそらく戦時における司法の厳格化の傾向に乗ったものであろう(団藤鋼要・総論)

五、最高裁判所は、その態度を最初に表明した判例(最判昭和二三・七一四刑集二・八・八八八)においても、ただ「それは単なる法律の不知に過ぎないのであって、犯罪構成に必要な事実の認識に何等欠くるところがないから、犯意があったもと認むるに妨げない」と述べているだけで、法律の錯誤(不知)は故意を阻却しないということを白明のこととしており、またその後の判例は無雑作に右の判例に従っているだけであるが、戦後わが国における最高の裁判所として発足した最高裁判所の態度としてははなはだしく物足らないものといわなければならない。ことに、同じように、戦後西ドイツの最高の裁判所として発足した連邦裁判所が法律の錯誤についての問題の解決にあたり、旧大審院の判例をそのまま無批判に踏襲するという安易な態度をとらず、責任の本質についての反省から、過去数十年にわたりドイツの刑事司法を支配した旧大審院の見解を責任の本質原則に矛盾するとしてこれを否定し、いわゆる責任説を採用した態度と比べてその感を一層深くする。(牧野・刑政新一巻三号四号同二巻一号、牧野・警察研究六九二四巻四号、佐伯・刑事裁判と人権、高田・法と政治三巻四号、福田・違法性の錯誤)。

最高裁判所の法律の錯誤は故意を阻却しないとする見解を採っているにもかかわらず、高等裁判所の判例の中には、違法性の意識の可能性がなかったとして無罪とした例が相当の数に上っていることが注目される。

例えば東京高判昭和五五・九・二六判決(私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律違反被告事件)は、いわゆる石油カルテル事件について、次のように判示する。

「しかし弁護人らは右被告人らには違法性の意識及びその可能性がなかったことを主張している。もっともこの点については「犯意があるとするためには犯罪構成要件に関する具体的事実を確認すれば足り、その行為の違法を認識することを要しない」とする法律判断が最高裁判所の判例として定着しているから、犯罪の成否の問題としては右事実については判断する必要がないという見解もあり得る。しかしながら右の趣旨の判例は、違法であることを知らなかったとの被告人の主張は、通常顧慮することを要しないという一般原則を示したものであるか、あるいは当該事件においてはその主張は理由がないとするものでって、行為者が行為の違法性を意識せずしかもそのことについて相当の理由であって行為者を非難することができないような特殊の場合についてまで言及したものではないと解する余地もないではない。そうして右の特殊な場合には、行為者は故意を欠き、責任が阻却これると触するのが、責任を重視する刑法の精神に沿い「罪ヲ犯ス意ナキ行為ハ之ヲ罪セス」という刑法三八条一項本文の文言にも合致する至当な解釈であると考える。昭和五一年六月一日の東京高等裁判所判決(高裁刑事判例集二九巻二号三〇一頁――この判決は羽田空港ビル内デモ事件につき第二次控訴審判決である。判例時報八一五・一一四参照上記は筆者の註)は「無許可の集団示威運動の指導者が、右集団示威運動に対し公安委員会の許可が与えられていないことを知っている場合でもその集団示威運動が法律上許されないものであるとは考えなかった場合に、かく考えなかったことについて相当の理由があるときは、右指導者の意識に非難すべき点はないのであるから、右相当の理由に基づく違法性の錯誤は犯罪の成立を阻却する」という、前記と同趣旨の見解の下に一被告人に無罪の言渡しをしたのであるが、右判決に対する上告審において、最高裁判所は「原判決の前示法律判断は被告人に違法性の意識が欠けていたことを前提とするものであるところ、職権により調査すると、原判決には右前提事実につき事実の誤認があると認められるから、所論について判断するまでもなく、原判決中被告人に関する部分は、刑訴法四一一条三号により破棄を免れない旨判示し(第一小法廷昭和五三・六・二九判決刑事判例集三二巻四号九六七頁)事実判断に基づき重大な事実誤認を理由として破棄差戻しの判決をしているのである。右の職権調査が行われことは、最高裁の前記判例に対する前記理解に支持を与えるものである」。

これらの見解に立つと思われる判例として

1 広島高松江支部 昭和二五・五・八特七・一五

2 名古屋高 昭和二五・一〇・二四特一三・一〇七

3 仙台高 昭和二五・一一・二五特一四・一九二

4 仙台高 昭和二七・九・二〇特二二・一七二

5 東京高 昭和二八・九・九特一九・九六

6 福岡高宮崎支 昭和三四・九・一二下級刑集一・九・一九の〇

7 東京高 昭和四四・九・一七いわゆる映画黒い霧事件 判例時報五七一・九

8 前出 東京高 昭和五一・六・一 羽田空港ビル内デモ事件についての第二次控訴審判決 判例時報八一五・一一四等相当数の高裁裁判例がみられるのである。

六、これを本件についてみると、被告人は、基準看護が必要とする看護婦の数が不足しているにも拘らずその事実を偽り基準看護科を騙取したとの事実に関し、看護婦の不足は看護助手を以てカバーし、その実質は基準看護と同等のものであり、従って基準看護科を騙取したとされることには納得がゆかないものがある旨主張する。而して本件当時わが国の医療制度は多くの解決を要する問題を包蔵し、とりわけ老人医療においては行政施策の手遅れと相俟って、社会的にも家庭的にも、最もその対策の講ぜられることの要請されている老人医療が、本件大手町病院に皺寄せられていたと言っても過言ではないのである。看護婦の絶対数の不足の実情にあえいで、一人の看護婦の能力を少しでも増大して発揮できるよう看護助手を数多く採用して、その補助者として活動させ、老人医療の充実の全力を注いでいたのが被告人の姿であるといっても決して過言でないと思う次第である。原審判決は「正看護婦と准看護婦の不足を看護助手(看護婦見習を含む)でカバーしていたから看護上問題がなかった旨供述しているが、これは看護婦資格のある正看護婦及び准看護婦と看護婦資格がなく看護の補助した行えない看護助手とを同一視するもので…看護婦の重要性を無視した暴論である」旨判示するが、被告人の言わんとするところは、決して看護婦及び准看護婦と看護助手とを同一視しようとするものではなく、正規の看護婦、准看護婦の活動能力を、看護助手を多くつけのことによって倍増し、例えば一人の看護婦が二人分の看護婦の働きができるようにし、もって入院患者特に老人の入院患者に対する医療上欠けるところがないよう努力し、その結果概ね基準看護に劣らない程度の医療を施すことができたことを訴えんとしたものである。

本件は前記各証拠から認められるように「行為者(被告人)がその事実を法律上違法でない許さないものと誤信し而もその誤信したことについて相当の理由があってその者に過失の認むべきものがない場合」であり、被告人ならずとも「何人に対しても違法の意識を期待できない」場合に該当し、従って被告人には、基準看護科を騙取しようとの犯意はなかったものとしてその責任を問うことはできないといわなければならない。かりに違法の意識があり詐欺の犯意が認められるとしても、その意識は極めて希薄であり、情状酌量の余地が大であると思料する次第である。

第八 二重の危険(Dauble Jeopardy)について

昭和二五年九月二七日大法廷判決(刑集四・九・一八〇五)において、栗山裁判官は、少数意見として

「憲法第三九条末段の何人も同一の犯罪について重ねて刑事上の責任を問われないという規定を、既に有罪とされた行為について二重に処罰されない趣旨と解するだけでは狭きに失する…右末段の趣旨は同一の犯罪について二重に訴追(Secnd Prosecution)されないことに対する保障と解すべきものと思う。」と述べておられる。被告人を、同一犯罪について、二重に刑事手続による処罰の危険にさらすことはアメリカ憲法修正五条は明文でこれを禁止している。弁護人は、その後の最高裁判所の判断に示されているところと異なり、本件に関連して敢えて次のとおりその見解を開陳する次第である。

一 所得税法違反被告事件の被害者は国であり、又詐欺被告事件の被害者は保険事業を営む国若しくは地方公共団体であるところ、前者に係る公訴事実第二に記載の昭和五六年分の被告人の実際の総所得金額が、

金五億七、七〇一万五、三三五円

であるとされ、又同公訴事実第三に記載の昭和五七年分の前同様総所得金額が、

金七億九、五九九万六、二二三円

であると指摘されている。

二 他方、〈1〉詐欺に係る公訴事実第一関係の別表一覧表一の番号1によると、被告人が五六年中に、石川県社会保険診療報酬支払基金(以上単に支払基金と称する)から、基準看護加算金として合計四二五万一、七二〇円。同公訴事実第二関係の別表一覧表二の番号1によると、同年中に同県国民健康保険団体連合会(以下単に健保団体連合会と称する)から、同様加算金合計金五九二万三、〇六〇円(以下二口総計一、〇一七万四、七八〇円)を不正受給したものとされ、〈2〉さらに同上一覧表一の番号2乃至13によると、被告人が五七年中に、支払基金から前同様加算金として合計金六、〇〇二万四、一四〇円、同上一覧表二の番号2乃至13の記載によると、同年中に被告人が国保団体連合会から同様加算金として合計金七、七三八万八、九六〇円(以上二口総計金一億三、七四一万三、一〇〇円)を不正受給したものとされている。

三 しかるところ、前記所得税法違反罪の公訴事実第一記載の昭和五六年中における被告人の実際の総所得金額の中に、同年中の前記〈1〉の二口の不正受給額総計金額一、〇一七万四、七八〇円が含まれているものであり、又同上公訴事実第二の五七年中の被告人の実際の総所得金額の中に、同年中の前記〈2〉の二口の不正受給額総計額一億三、七四一万三、一〇〇円が夫々含まれているものと認められるところ、各両年度の被告人の実際の総所得金額についての各隠し所得(この隠し所得額の中には、同五六、五七年中の前記〈1〉、〈2〉の各不正受給額総計金額の相当額が含まれているものと認むべきものである)につき計算された脱税額に対し、所得税法違反罪として起訴され、更に同様両年度における前記加算金についての各不正受給額につき、夫々右所得税法違反と別個に、詐欺罪として起訴されるという結果となっている。尤も右二つの罪は、処罰法規を異にし、各その構成要件も相違するので、一部同一の金額につき、別個の罪名で、各別に起訴されること、法律上己むを得ないことかも知れないが、実質的には、一部同一の金額につき、別箇の立場から夫々断罪の対象とされている点に、憲法に鑑み、特に御留意願いたいのである。

第九 情状一般について

一、司法警察員作成の面前調査にあるような金銭欲が主体となって本件犯行がなされたものでないことについて

1 被告人の司法警察員竹沢警部補に対する供述調査(検第三〇三号、三〇五号)には、

「基準看護をやめるわけにいかなかったのは、新病院建設の資金が必要であり、増収に結びつくことはどんなことでもしなければならないと思っていた。」旨の供述記載があるが、これは同警部補が資金必要と基準看護加算金の受給とを結びつけて、理づめで取調べた結果の被告人の真意にそわない供述が調書化されたに過ぎないものと理解できる。

それは、次のことからも明らかである。

まず、本件事案は国税査察官が脱税事件を調べて、脱税は金銭の利得を主たる目的としており、その動機が病院建設等医療設備の充実が動機であると確認されていたため、警察は脱税の調べが終わってから、これに引き続いて詐欺の事案を調べたため、この脱税の動機に容易に飛びついて、被告人の真の弁解にも耳をかさず、無理やり、金銭欲で本件基準看護加算金の不正受給をしたように固める誤りをおかしたものである。

警察が右のような誤った供述録取をした痕跡は、種々指摘できるが、次の一点を示すだけでも十分でしあろう。

被告人の前記警部補に対する供述記載(検第三〇五号)の中に、「自分のやってきたことは、脱税王の詐欺師であった…自分には事業を拡大することが夢であった云云」という部分があるが、被告人が任意取調べにおいて、自らを「脱税王の詐欺師」等と供述するであろうか、被告人は公判廷で、このような供述をしたことはない旨断言しているが、それは当然のことである。被告人の言いもしない「脱税王の詐欺師」と記載したことと一つとりあげてみても、如何に、警察が脱税事件の動機のみにとらわれて、本件詐欺事件の真相を発見しようとしなかったかが、窺われるのである。

2 次に、大手町病院を無類にすることができず、基準看護一類でいかざるを得なかったのは、前記の如く患者本位に病院経営を考えて、そうせざるを得なかったものであり、その点につき、被告人は前記陳述書一七丁表以下の六項目において、

「看護の本当に必要な手のかかる患者は退院させることは不可能であり、かえって私の病院は基準看護だから面倒な看護は出来るだろうと、市内の他の病医院又は国公立病院から送られきました。基準看護でないから面倒を見られない、退院しろ、駄目だ、或は付添いをつけろとは、私には人道上としても出来ませんでした。無類にし、そんな面倒な手のかかる患者を退院させることになれば、多数雇っている看護助手(介護人)も退職させねばならないし、従業員の死活問題にもなり兼ねません。看護婦も基準看護でないから、それ程迄私達はサービス看護が必要ではないとの心の持ち方もおのずと変わり、そんなやっかいな患者の退院をせまるのでありましょう。」と述べている。

これが実情であって、決して金もうけのために基準看護一類の申請をしたものではない。本件において留意すべき重要な点は、本件は決して、今まで無類であったものが、看護婦数が足りないのに、敢えて新たに基準看護を不正に申請したという事案ではなく、前述のとおり、岳父経営当時から完全看護の病院として、その後も基準看護二類の病院として、いわゆる自費で付添婦をつけなくても完全看護を受ける病院ということで、困った患者をそのようにして、受け入れていたが、基準看護なしにして、患者を投げ出さわけにはいかず、若干厳しくなった基準看護一類を受けて、患者を投げ出さず、これを受け入れていったという事案である。

3 更に、被告人は検察官に対する供述においても、昭和五三年三月に二類が廃止となり、一類か無類かの時に「現実に受け入れ先のない寝たきり老人を多数抱えており、…曲りなりにも付添人がなくても、良いような看護をしていたという自負があったので…」(検第三二三号の検事調書四項)、「岡本らとしても、基準看護の承認を返上すれば、病院自体の存立や入院患者にも迷惑をかけかねないと考えて、私に従ってくれたものと考えております。」(同検事調書三項)、「実際のところ、一度承認を返上すれば、再承認が困難であると思われたこと、看護婦自体も基準看護の承認があれば、それなりに入院患者の世話をするでしょうが、無類になれば、それを理由に結局はおざなりな世話しかしなくなるのではないかと懸念されたことなどからして、何とか一類を申請をしようと考えたのです。」(同検事調書九項)、「大手町病院は寝たきり老人が多く、病院というより養老院的色彩が強く、その世話は正看や準看でなくても、いわゆる「助手」のおばさんでも賄い切れる面が多く、…内容的には十分な看護をしていると考えていたので、一類の申請をしてもよいだろうと考えてしまったのです。」(同検事調書一一項)等と述べているのも、説明は上手ではないが、前述の実情を陳述しているものである。同検事調書末尾において、被告人が同調書の訂正を申し立てて、「不正受給の問題と敬愛病院の建設資金調達や返済とは直接関係がありません。脱税の方の動機になるに過ぎません。」と述べているのは、捜査官が、脱税の動機、金銭利得目的を、不正受給問題はあくまでも、受け入れ先のない、自費で付添婦をつけられない寝たきり老人等を受け入れるための必要からしたことであることを、述べようとしたのであって、それが真相である。

4 右の実情は、岡本八重子の原審証人調書一一丁表以下、原審証人宮下正次の証人調書五五丁表以下、原審証人安部健吉の証人調書一七丁裏以下等の各証人の証言によっても、明らかである。

宮下正次は検第一八七号の検事調書九項において「加算金が欲しいという金銭欲だけからそのように考えていると思います」という供述調書をとられているが、これは加算金が入ってくるという外形のみから、理づめで述べさせられているのに過ぎないものであって、当時基準看護を長年受けていたのが、無類になる場合の患者への影響等について録取されなかったのは、真相を把えていない一方的な調書といわざるを得ない。供述者の真意は、調書作成の末尾段階で、供述者がつけ加えたところに、真相の片鱗が窺えることがあのものである。宮下正次は検第一八五号の司法警察員調書において、被告人の金銭的必要をいろいろと述べさせられた後の末尾四項において、「一類を取らなければならないもう一つの理由があります。二類廃止ということで大手町病院は基準看護がなくなると、これまで付添のいらない病院ということで満床以上の状態であったが、二類の加算金も取れないのに、看護補助者を多く雇って、これまで通り付添人が必要となると、自己負担で付添婦をつけて入院出来る患者は限られてきて、入院患者が少なくなってしまう…」と述べているのである。警察は、これも金銭欲と結びつけるように調書化しているが、この点の真相を捜査段階でもっと正しく掘り下げられるべきものであった。

原審公判廷で宮下が証人として、検察官の尋問に対し、「…それが、その看護が全然なくなってしまうということになってくると、入院をしておいでる患者さんと、家族の方やとか困られることになるんで、それも困ったことだなあというふうに考えました」(同人の証人調書二三丁前後)と証言し、又弁護人の反対尋問において、基準看護なしになると、入院希望患者が困り、患者の希望を満たす経営が困難となる実情を詳細に証言するに至っている(同調書五六丁前後)。

4 ここに特に指摘しておきたい重要な点がある。

前記被告人の陳述書一八丁裏以下の第二の七項記載の通り、本件より後の昭和五八年一月に老人保険法が制定され、厚生省告示第二号により、本件で論ぜられているいわゆる寝たきり老人、ボケ老人等の「特定患者収容管理料の算定の対象となる心身の状態にある患者については、非基準看護病院でも、収容管理料(一日につき)二〇点を看護料加算として認めるに至っている。これは、形式的には、基準看護を充足する看護婦数を有しない病院でも、右のような老人患者を収容する病院には、看護料の加算を与える必要のあることを認めざるを得なくなったからである。

本件病院のように形式的には基準看護に必要な数の看護婦を満たしていなくても、老人医療の特殊性から看護助手等を充足することによって、実質的に老人医療を全うして老人患者を受け入れて治療に当る病院の経営に対し、行政も遅まきながら、理解を示さざるを得なかった結果であって、この点からも、被告人の本件所為には大いに同情すべき点が存するのである。

弁第六三号の日本医事新報の識者の「健保改正と診療報酬の緊急是正に対する意見」の中に、「基準看護における看護婦等の人員構成の比率の改定」として、「看護要員の確保を図るとともに、基準看護制度における看護要員のなかで、正看護婦の占める比率を下げ、準看護婦及び看護助手を、現行より以上に活用するように人員の構成比を改め、基準看護の承認を容易にされたい。これにより、普通看護の病院が基準看護体制を採ることによって、付添看護料金の患者負担がなくなり、全病院としての看護要員の充足と看護の質の向上につながる…」と述べられていることからも明らかな通り、被告人の本件動機が、老人医療及びこれに関する病院経営の社会的必要からも、己むを得ないことであったことが、認められるものである。

二、基準看護一類の承認取消後における被告人の態度

1 大手町病院に付、昭和五八年八月上旬基準看護一類の病院であり乍ら、正規の看護婦が不足している等が指摘され、診療報酬の受給について、不正がある如きマスコミ報道が為され、更にその後も度々、不当な脱税もしているものとして、被告人を非難攻撃する新聞記事が出されたことを契機として、被告人は当時四〇〇名を越える入院患者の一部を徐々に自己開設の敬愛病院や、その他の病院に移したり、又は自宅に引き取らせたりして、減少せしめる措置は取ったが、しかし入院患者を放置して、その姿をくらますが如き無責任な態度を取ったことは断じてなく、反省謹慎の姿を堅持し、他の病院に移したり、又は自宅に引き取らせることの困難な事情があり、どうしても退院させることができない約二五〇名の患者の医療行為に従事していた。

2 次の同年九月一九日付で、大手町病院が石川県知事から一般病棟三八〇床についての基準看護一類承認の取消通告、並びに管理者(院長)の変更命令が発せられるや、被告人自ら奔走して、先輩の知人医師高島弥生に新管理者に就任方をお願いし、更に同年一一月一五日大手町病院が保険医療機関指定の取消の苦境に陥った際も、被告人は大手町病院を投げ出して、閉鎖するが如き自暴自棄的な行為に出ることもなく、当時前述の如き事情から、尚入院を続けていた約二五〇名の老人患者や、その家族のことに深く思いを致し、大手町病院を医療法人の経営に切り換えることを考慮し、右高島弥生院長等の協力を得て、同五九年二月一五日社員一五名(内一名は被告人)を糾合して、「医療法人社団清和会」を設立し、且つその設立に当たり、自己個人所有の病院建物(評価額三億〇、二七六万円)、医療機器、備品(同一、二九二万二、二七九五円)、薬品衛生材料(同五〇一万二、三六五円)、車両運搬具二台(同九七万〇、四四九円)及び電話加入権四基(同二七万二、〇〇〇円)を、右医療法人に現物出資(右現物出資の評価額合計額三億二、一九三万七、六〇九円)した(弁第二一号の設立財産目録参照)外、被告人が大手町病院の院長時代、同病院の施設、設備の強化整備の為、医療金融公庫から融資を受けた借入金の未払元利金債務金七、二一六万一、〇六九円も被告人の出損で返済し、無借金とする借置を取ったのである。(弁第一〇二号の陳述書二の第一項参照)。このようにして、右医療法人が格別の建設資を投下する必要もなく、大手町病院の経営を被告人から引き継いだことは、その後の同法人の大手町病院経営に当り、金銭的に大きなプラスとなっていることは容易に推測できるところである。

3 ところで、右医療法人社団清和会の設立後の同年三月一日大手町病院は同医療法人の経営に変わったのであるが、その前日の二月二九日被告人は大手町病院の開設者の地位も退くこととなった。

前記同五八年九月一八日付大手町病院が基準看護一類の承認を取消されると共に、それ迄の基準給食及び基準寝具の承認も取消され、又前述の如く入院患者も約二五〇名程度に減少したことから、大手町病院の経営上必然的に相当の減収状態が続いたにも拘らず、同五九年二月二九日被告人が同病院の開設者の地位を離れる迄の間、看護婦、看護助手は勿論、医師についても退職、減員させることもなく、苦しみに堪え乍ら、どこへも移すことのできない右約二五〇名の入院患者の看護介護に最善を尽くして来たものである(前記弁第二一号、同二二号の清和会決算報告書、原審証人安部健吉の原審第七回公判における証言、前記被告人陳述書第二の三項、及び被告人の原審公判供述、特に第一三回公判における供述参照)。以上の如く被告人があくまでも責任を回避せず、むしろ財産的に相当の犠牲を払ってまでも、苦境を堪え抜いて来た真摯な態度こそ、本件に付被告人の為、きわめて有利な情状のひとつとして斟酌するに値するものであると思料する。

尚、被告人は前記医療法人については、理事その他の役員に就任することを自ら辞退し、一社員として留り、同法人の経営に移った大手町病院(現在丸の内病院と改称されている)においても、毎月五〇万円の給与を受ける一勤務医として勤め、ひたすら悔悟反省の誠を尽くし、今日に及んでいるものである(尚、この点については、前記安部健吉の原審公判証言及び前記被告人陳述書第二の四項参照)。

三、本件の影響―その功罪

1 本件被告事件により、被告人は医師一般の威信ないし信用を失墜したことは、まことに申訳なく哀心お詫び申上げるものであるが、近次我国においては、被告人以外の医師又は病院経営者で、本件類似の容疑事犯を起し、税務当局や捜査当局の取調べを受け、その一部が起訴された事例が存在し、これが最近度々新聞紙上に報道されていることは公知の事実である。改めて深く反省し、その責任を痛感する次第である。

本件を契機として、石川県の老人福祉対策が相当向上改善されたことは、本件の功績面であると言うことができるであろう。即ち、弁第一二号の中村正人の調査表、弁第六一号の石川県厚生部民生課又は衛生総務課の作成に係る資料及び原審証人上口昌徳の第一〇回公判証言によると、本件当時、県下の公立病院の老人病棟は、県立高松病院等三ケ所で、計三〇〇床、市町村立病院での老人病床は、計五二〇床、県下の特別老人ホームは、一二ケ所で定員計一、一一〇名の程度であったが、本件を契機として、石川県当局も、老人の福祉保護対策を強化する為、昭和五九年度に約五億円の予算(証人平松昌司の証人調書二〇丁参照)で、新たに、金沢赤十字病院に、第一老人病棟五〇床の増設を、次に県立高松病院に、ボケ老人の入院を目的とする病床五〇床の増設を計画し、夫々六〇年度からこれをオープンすることとし、次に特別養護老人ホームについても、五九年度末に、三ケ所、定員二〇〇人を増加する処置を講じ、また同五九年度の新規事業として、石川県が在宅寝たきり老人、若しくは重度ボケ老人の介護者に対し、月額六、〇〇〇円の介護慰労金を支給する制度を新設して、その資金として、七、二〇〇万円の予算を計上して実施することになり、更に昭和六〇年度から定員八〇人の基幹特別養護老人ホーム(老人を介護する専門的な研修等を目的とするもの)を創立する予算を計上しているとのことであり、これらの県の措置は、本件により、石川県当局が受けた影響に、刺激されてとられた措置と認め得るものであり、いわば本件の功績の面とみなすことができる。

四、本件事件について金銭的後始末を完了したことについて

被告人は本件所得税法違反事件につき、国税当局から追徴された三カ年分の所得税本税、延滞金及び重加算税の全額(合計金一一億三、二四二万八、三九一円)を、既に昭和五九年二月二三日から翌三月十六日までの間に完納している外、本件脱税に伴い追加更正(同五六年乃至同五八年分)された県市民税の追徴分(合計金五、五七四万一、九一〇円)も既に全額納付済みであり、更に本件詐欺に係る基準看護加算金の三年分の返還金(合計金三億六、四〇一万〇、二五八円)も、また既に関係機関に全額返還済みであって、被告人は本件事件に伴う金銭的後始末を、早期に実行し、完了しているものである。

(弁第一〇二号の被告人陳述書二、特に同書添書付の支出金メモ、同第二四-二六号の国税関係の領収証、同第六七号、一〇四号の金沢市長の納税証明書、原審証人宮下正次の五回公判証言の速記録七二-三丁、及び同証人小西喜三郎の八回公判証言等参照)

第十 本件所得税法違反事件の情状と量刑について

一 国税庁の調査によると、脱税額は過去約三〇年間(昭和二三~五五年)にわたりほぼ一年毎に増加しているのがわかる。もっとも物価上昇率を加味して事を実質的にみると、ここ一〇年間は必ずしも脱税額が高額化したとはいいがたい。ただ個別事件では大口化した脱税事犯が摘発されている。例えば、〈1〉東郷民安に対する所得税法違反にあっては脱税額二六億三、六五〇万円に上り、量刑は、懲役二年六月執行猶予三年間罰金四億円であり、〈2〉ねずみ構内村健一に対する所得税法違反にあっては脱税額二〇億一、四一九万円であり、量刑は懲役三年執行猶予三年間罰金七億円である。

最近五年間(昭和五四~五八年累計)の租税関係事犯の量刑は、司法統計年報(通常一審における租税関係事犯の概況上参照)によれば、租税関係事犯の量刑は九六・八%が執行猶予であり、その中所得税法違反にあっては九七・〇%が執行猶予付である。直税犯に対する処罰は最近五カ年間において平均九七・三%が執行猶予に付されている。

二 「裁判所(官)の具体的な量定に当っては、経験的なもの、伝統的なるものが重要な役割を演ずる」ことに鑑み、ここでわが国の直税犯に対する処罰の実情を歴史的に振り返ってみることにする。

わが国の直税犯に対する処罰は、昭和五四年まではそのすべてが執行猶予付の懲役刑であって実刑は皆無であた、併科された罰金刑の金額に関する量刑如何が実は脱税犯処罰の目的とまで化していたのが実情である。そこで法定刑の上限としては、その脱税額と同額相当まで量刑し得るにも拘わらず(所得税法二三八条、法人税法一五九条)、実際に検察官の求刑率は脱税額の三~四〇%であり、判決に示した量刑においても、脱税額の二五%前後にとどまっている(松沢智=井上弘道、租税実体法と処罰法)。

これを立法の沿革に見ると、昭和一五年三月二九日法律第二四号所得税法の第八十八条は「詐偽其ノ他不正ノ行為ニ依リ所得税ヲ逋脱シタル者ハ其ノ逋脱シタル税金ノ三倍ニ相当スル罰金又ハ科料ニ処ス」と定め定額財産刑主義をとり損害賠償的な性格を有していたが、昭和十九年の改正により、間接税に自由刑及び両罰規定が採用され、量刑に裁量の余地が与えられ、昭和二二年に至り直接税に自由刑及び両罰規定が採用され、定額財産刑主義が廃止された。それまでは逋脱犯に対する処罰は、一般刑事犯に対する処罰のように、罪悪性を処罰するためのものではなく、国家に財産上の損害を生ぜしめないことを担保することを目的としていた。したがって刑罰は、国家の租税収入の確保という行政目的の遂行を担保せしめ、実質において、国家に対し損害を与えたものとして、その損害を賠償させることにあった。それが、昭和一九年、昭和二二年の税法改正により、逋脱犯の自然法化、責任主義に基づく刑事制裁が説かれるに至ったのである。裁判例においても、責任説に基づき、昭和五五年に至り、約三〇年ぶりに昭和五五年三月一〇日東京裁判判決は実刑判決を言い渡した(判例事報九六九号一三頁)以来直接国税脱税事犯単独でも、悪質重大なものについては、自由刑の実刑判決が言渡される事例が最近増えてきておる。ここで「悪質重大なもの」として実刑判決の言渡があった事例を概観すると概ね次のとおりである。

1 法人税逋脱事犯における実刑判決(他の犯罪事実と併合されているものを除く)をみても

〈1〉 前記東京地判 昭和五五・三・一〇 特殊浴場経営、逋脱所得額一二億四、九二七万円余、逋脱税額四億八、九〇九万円余。これに対する申告所得は、欠損額△六〇四万円余、申告額六七二万円余、差引所得額は僅か六八万円余、納税額は一八八万円余にすぎない。その逋脱率は約九九・六%であり、申告率は全く納税をしないに等しい。脱税の動機(傘下事業を拡大するための簿外資金の蓄積)、脱税の反覆継続性、脱税資金の使途、罪証隠滅工作等、懲役一年六月上訴の結果懲役一年二月

〈2〉 東京地判昭和五五・五・二八 時計等販売業 約五、〇〇〇万円 懲役一年 上訴の結果八月 執行猶予期間中の犯行、改悛の情顕著、将来の家族生活を案じての犯行(国税庁編輯「税務訟務資料」)

〈3〉 大阪地判昭和五七・八・五 建設業 イ約四〇〇万円ロ約五、九〇〇万円イ懲役二月ロ同六月 上訴の結果一審どおりの量刑で確定、執行猶予期間中の犯行

〈4〉 東京地判昭和五八・二・二八不動産売買、仲介業約一億三、八〇〇万円 懲役一年執行猶予中の犯行(判例時報一〇九〇・一八三)

〈5〉 東京地判昭和五八・一二・一四店舗リース業約八、九〇〇万円 懲役六月罰金四〇〇万円 執行猶予期間中の犯行

〈6〉 札幌地判昭和六〇・九・六 パチンコ店経営 約一億八、七〇〇万円 懲役一年(上訴)逋脱率九九・五六% 設立当初から売上げを自動的に記録するコンピューターの作動を一定時間止める 脱税する一方納税上の特典を享受(判例時報一一七〇・一六〇)。

2 所得税法違反事件における実刑判決の例として

〈1〉 東京地判昭和五五・一〇・三〇 建材販売業者 逋脱税額約一億七、〇〇〇万円 逋脱率一〇〇% 懲役一年罰金四、〇〇〇万円 控訴審において執行猶予に変更

〈2〉 横浜地判昭和五六・八・七 資金業 約三、八〇〇万円逋脱率九九・七% 懲役八月罰金一、二〇〇万円

〈3〉 東京地判昭和五六・一二・一八 整形外科医 約三億二、五〇〇万円 逋脱率九九・八% 懲役一年六月罰金五〇〇万円 控訴審においても実刑判決を維持(判例時報一〇八三・一五二)

〈4〉 東京地判昭和五七・四・二六 サラ金業者 約三億二、五〇〇万円 懲役一年六月 罰金五、〇〇〇万円

〈5〉 東京地判昭和五七・一〇・二〇 司法書士 約三億四、〇〇〇万円 懲役一年六月 罰金七、〇〇〇万円

〈6〉 京都地判昭和五八・八・三 逋脱額一七億三、〇〇〇万円 逋脱率約九八・五% 申告率二・五% 懲役二年 罰金二億五、〇〇〇万円

等がある(鶴田六郎法律のひろば三五・六・四参照)。

これらの判決から量刑事情を検討すると、逋脱額、逋脱率のほか、動機、逋脱手段の悪質性、前科、前歴、納税意識等が重要な要素として斟酌されているようである

3 租税逋脱犯は反社会的犯罪である(東京高判昭和五六・七・一三判例タイムズ四四七号一四八頁)が申告納税方式を採用している所得税・法人税については、人間の浅はかさからつい有利なように申告をし脱税犯に陥りやすいことも現実である。税務当局の指導監督を強化し事実上これを防止する方策こそ肝要というべきである。そうした観点からすれば、租税犯の科刑については、刑事犯とはおのずから差異があって然るべきものと考えられる。なるべく財産刑を以て科刑し、悪質犯や再犯などこれを以て対処し得ないものについて自由刑を科すべきものと考えられ、「申告納税制度の根本を否定する程度の反社会性、反道徳性を有するものであって一般国民の納税意欲(納税倫理)に著しく支障を生ぜしめる程の悪質性が認められる」ものについては、厳格にその責任を追求すべきであると考えられる。

三 本件逋脱額は、昭和五五年度一億三、六四一万五、〇〇〇円、昭和五六年度二億八、六八四万六、九〇〇円、昭和五七年度三億九、一〇八万九、一〇〇円、計八億一、四三五万一、九〇〇円でこの種持しとして多額に上るものであるが被告人としては、「医師としての診療に忙殺され、会計上の処理は税理士等の指示に従っておりました」旨の陳述にもうかがわれるように必ずしも犯行の具体的方法の仔細にわたって認識して逋脱の実現を意図したものと認めるにはいささか躊躇させるものがあり、また平均申告率三七・七%平均逋脱率七三・四%の事案であり、特段な証拠湮滅工作は施されていないものである。前記東京地裁言渡しの実刑判決等はいずれもその逋脱率は概ね一〇〇%に上り申告率は全く納税をしていないに等しいものであり、その後の実刑判決をみても、いずれも犯行の動機に酌むべきものがなく、欠損申告をする等申告率は全く納税をしないに等しく、証拠の隠匿破棄が行われている事案或は、加えて所得税違反等により刑の執行猶予期間中の犯行である等いずれも「申告納税制度の根本を否定する程度の反社会性、反道徳性を有するものであって、一般国民の納税意欲(納税倫理)に著しく支障を生ぜしめる程の悪質性が認められる」事案ばかりである。検察官請求に係る証拠(検第三三二号)の昭和五六年以降の実刑判決事例も又その例外ではない。

すなわち

〈省略〉

第十一 被告人の生活、人物、社会的功績等

一 (1) 弁護人申請の各証人の証言によっても明らかの如く、被告人の生活は、質素な方で、その住宅等も決して豪邸と称する部類に属するものではなく、医療そのものが趣味であるような人物であり、日頃株の売買その他投機的なものにお金を注ぎ込むこともなく、高価な美術品を買い入れるという趣味もなく、又日頃酒色にふける所業や認められない真面目な人物である。

(2) 被告人は、大手町病院及び敬愛病院の開設者として、その入院患者、特に多い寝たきり老人又はボケ老人に対し、心からこれを敬愛し、老人医療に最善を尽くしてした外、予防医学の立場から石川県下の警察関係職員及び建設省関係職員の健康管理にも永年努力したものである。

(3) 右のとおり被告人は、医療行為、病院経営によって、社会に大きな貢献をしたのみならず、次に述べる通り、多くの社会的奉仕活動を行い、その社会的功績が大きい。

そのこと自体も、被告人に有利な情状として高く評価されるべきことではあるが、それのみならず、被告人がそのような社会的奉仕の活動をしていることは、被告人が金銭欲で本件行為を行ったものではなく、本件が被告人の医療熱心によるものであることを、雄弁に物語るものといえよう。

(4) 特筆すべきものとしては、被告人は立派な医師の後輩を育成しようと心を配り、約三〇年前から当初約一〇年間は毎月金一〇万円宛、その後約一〇年間は同様金一五万円宛、最近約一〇年間は同様金二〇万円宛を、金沢大学医学部の母子家庭その他裕福でない学生に対する奨学資金(無償還)として、同医学部学生課に寄付を継続して行ってきているものである。しかも世間にも公表せず、秘かにこのような善行を行っている(弁第九七号の領収書計四通、被告人の原審第一一回公判供述参照)。

(5) 次に、若い人達が、健康な心身の持ち主して成長して行くことを祈念する心境から、被告人は進んで金沢市陸上競技会会長及び石川県陸上競技会副会長を勤め、若いスポーツマンに対し、物心両面に亘り、幾多の貢献をしてきた(原審大戸宏の証人調書三丁参照)。

(6) 又、身障者に対する配慮の為、大手町病院が進んで身障者を職員として採用する措置もしている。

(7) 又、被告人は金沢市第一消防団材木分団協力会の会長をしており、消防団に物心両面及び実際活動でも大いに協力している。

(8) 又、財団法人石川県更生保護協会で非行防止のための社会を明るくする運動を行っているのであるが、被告人はこれに対しても、過去一〇年位、毎年金五万円相当の寄付を継続している。

(9) 又、司法保護司会に対しても、昭和五五~六年頃に金一〇〇万円を寄付し、昭和五七年には金五〇〇万円もの多額の寄付をしている。

(10) 次に、金沢市の教育関係事業にも、民生委員の関係でも多額な寄付をしている実績がある。

(11) 又、石川県社会福祉協議会へも金五〇〇万円を寄付している。

(以上、(7)乃至(11)につき原審証人山崎武雄の証人調書、被告人の原審第一一回公判供述参照)

(12) 又、海外交換学生の受け入れ、海外への青少年派遣等に関するロータリークラブのロータリー財団、米山財団等へも金数十万円づつの寄付をしている。

(13) 又、医師会からの派遣として県立准看護学校の講師を過去五年継続して勤めている。

(以上(12)、(13)につき、被告人の原審第一一回公判供述参照)

(14) 被告人が以上のような社会的奉仕活動をなした実績に対しては、昭和五二年九月以降内閣総理大臣等から「紺綬褒章」を賜り、尚その後三回に亘り、右紺綬褒章に附する飾板を賜っている外、石川県警察本部、同県医師会長、労働大臣、石川県知事、金沢市長、法務大臣等から、前後九回に亘り、感謝状、表彰状を受けて、その功績を讃えられているのである(弁第八四号乃至九六号の褒章の記、感謝状、表彰状、参照)。

(15) このような意味において、被告人は世人から敬意を表されるに値する人物であると言わなければならない。

被告人は、これ迄何等の前歴がなく、善良な人物であったことが認められる。

(16) しかるに本件詐欺事件に関し、昭和五八年八月上旬から引き続き読売新聞又は地元北国新聞等から悪徳者又は巨額の脱税者の如く取り扱われ、いわゆるマスコミから、さんざん叩かれて、今日迄十二分の社会的制裁を受け、それが為に久しく孤独感を味わって来たのである。今日、十分自己の非に対し深く反省悔悟し、今後決して違法の所為に出ないことを誓っている外、当六〇才を過ぎる高齢者であり、再犯の恐れなど全くないことが確信できるのである。

(17) 以上のように見てくると、被告人は一般的に罪を犯した人間の中で、質の良い方であり、その罪を憎んでも、人を憎まずとの見地から、十分同情し、救ってやるのに値する人物といはねばならない。

二 尚ここで、一言附加したいことは、

(1) 大手町病院が昭和五九年三月一日前叙の如く医療法人社団清和会の経営に移り(現在その名称は丸の内の病院と改称されている)、保険医療機関の指定を受けたが、しかし未だ、基準看護一類又はそれ以上の承認を受けていないが、病床数は現在二七〇床で、満床であり、六五才以上の高齢者の入院患者は右病床の九五%以上を占め、その中、寝たきり老人、ボケ老人が約二〇〇名いる状況であって、丸の内病院も、被告人院長時代の大手町病院同様、正に老人病院である。これに対し、丸の内病院は、医師、看護婦、看護助手等の職員を夫々相当確保し、その人件費は医療収入の約六五%以上必要とする現況であるが、入院患者に対しては、被告人時代と同様完全看護のサービスをしていながら、前記医療法人が大手町病院を経営した右三月一日から六月迄の中間決算の結果では、経営面での赤字は、月三四〇万円位に留まっている現況であるという(前掲証人安部健吉の原審第七回公判証言参照)。

ところで、右現況を本件につき、被告人に不利な情状とする論議があるかもしれないが、しかしそれは、前掲弁第二一号の同上医療法人の設立財産目録及び原審における右安部健吉の証言等から、窺知できる次の如き事情を考量するときは、決して正当な論議ではない。

(2) 前記医療法人設立に当り、前述の通り、被告人時代の大手町病院建物を、基本財産として、そのまま被告人から現物出資を受け、病院建物建設のため、当初格別の資金を必要としなかったこと。

(3) その外、医療機械器具、備品(評価額計金一、二九万二、七九五円)、車両運搬具二台及び電話加入権四基、並びに当面必要な薬品衛生材料(評価額計金五〇一万二、三六五円)を、前同様被告人から夫々現物出資を受け、更に被告人を含む社員六名の出資に係る現金三、〇〇〇万円が存在し、丸の内病院の当座の人件費等の経費の一部に充当できたこと。

(4) 前述の通り、被告人時代の大手町病院のため、医療金融公庫から融資を受けた借入金の元利金未払債務七、二一六万円余も、被告人が自らの出損で全額弁済して、大手町病院を無借金の状態にして、前記医療法人に引継いだこと(前掲被告人陳述書(2)の一項参照)。

(5) 被告人が、現物出資した前記大手町病院建物の敷地約六〇〇坪(被告人所有物件)についても、被告人は当分の間、右医療法人に無償使用を許し、格別の賃料をとらない措置をとっていること。

(6) 右(1)乃至(5)記載のことからして、前記医療法人は被告人から引継いだ大手町病院(現丸の内病院)の経営上、金銭的負担が極めて軽く、非常にプラスとなっていることが認められること(尚、この点に関して、前述の通り、石川県当局が本件事件後赤十字病院に新たに老人病棟五〇床を増設するに当り五〇億円(一床当り一億円)を計上したということが参考となるのであろう)。

(7) ところで、丸の内病院の健全な経営の立場からして、同病院の決算を組むに当り、建物や医療機械器具、その他什器備品の償却費(原審における安部証言では、この償却費は、年間五、〇〇〇万円位であるという)を経費として計上すべきである。又その外、病院建物の敷地についての年間相当額の賃料も、また被告人からの請求の有無に拘らず、経費として計上すべき筋合のものである。しかし弁第二二号の同病院の決算報告書によれば、上記二種の経費は何れも計上されていない(尤も、若干額の賃借料が経費中に計上されているが、それは右敷地の分でなく、病院建物の後方にある看護婦宿舎三棟、医師宿舎一棟を被告人から借用使用している分の賃料である)。

(8) 丸の内病院は最近基準給食、基準寝具の各承認を受け得ることにより、この各承認のない時期に比較し、年間約四〇〇万円の増収が見込まれるとのことであるが、それでも十分なる赤字補填は極めて困難であり、結局原審における右安部証言にある如く、将来丸の内病院が現在の二七〇床の病床を三〇〇床位に増床し、かつ基準看護一類の承認をうければ格別、そうでないと、ここ数年間は、毎年相当額の赤字経営が続き、黒字経営に転ずることは困難であると認められること。

(9) 蓋し、最近民間病院の経営は、弁第一七号雑誌中央公論中の「病院倒産が多発する日」と題する記述にもある通り、仲仲楽でないようである。

むすび

弁護人は量刑の均衡を保たれなければならず、また刑事政策の中で正当な役割を果すべきものであり、憲法三一条が英米法刑の「適性手続due process」の規定であるところから、刑罰法規に規定された犯罪と刑罰が、規定上もその具体的に際しても均衡を保っていることは、罪刑法定主義の要求するところと考える。応報観念の満足並に一般威嚇作用を考慮するだけでなく、刑事訴訟法二四八条を念頭にして犯人の年令・性格・犯罪の動機・方法・犯罪後における犯人の態度その他の事情を全体的に考慮して量刑が行われているのが現状であると思料する。刑事司法の最終目標を、犯罪者を再教育して善良な市民として社会に復帰させることにあると考えるときは、個々の犯人に対する刑はその個性や個人に特殊的な生活歴その他の事情こそ重視さるべきであってこれを全く無関係な抽象化された犯罪の重さないしは非難の度合のみによって画一的に決定されるべきでないことは今や何人も否定するところではないと思います。

わが国の社会文化的特質の一つは、正邪を峻厳に区別する対立的・倫理的な欧米文化とは異なり、調和的情緒的な日本文化に根ざす寛容性と柔軟性にあり、この特質が応報や「法秩序の防衛」よりも「悔悟反省」による更生意欲を重視し、あるいは若干の再犯危険性を予測しながら更生のためにあえて「最後の機会」を与えるという形で執行猶予の運用がなされていると見ることもできる。わが国の刑法には重罪・軽罪の区別がなく、また法定刑の幅が広いため、殺人などの重大犯罪に対しても執行猶予を付しうるという点でわが国の執行猶予制度は欧米諸国に比べて極めて柔軟な構造をもっているといえよう。

以上弁護人において縷々申述べたところを十二分に斟酌いただき、原判決を破棄の上、本件詐欺被告人事件については、犯意不十分として無罪の判決、若し然らずとするも、本件両被告事件を通じ、自由刑については、何卒被告人に対し刑執行猶予付の判決の言渡しがありますように衷心から上申する次第である。

以上

昭和六〇年(う)第一一二号

○控訴趣意書

被告人 土用下和宏

右の者に対する所得税法違反及び詐欺被告事件についての控訴の趣意は、本日付の弁護人勝尾鐐三他三名の控訴趣意書記載のとおりであるが、それに付加して、左記のとおり、控訴の趣意を述べる。

昭和六一年三月一一日

弁護人 湯沢邦夫

名古屋高等裁判所 金沢支部第二部 御中

第一、

一、 原判決は、被告人に対し、懲役二年六月及び罰金一億円の、いずれも実刑に処する旨の判決を言渡した。然し、この量刑は重きに失し、不当であるから、破棄されるべきものである。本件については、少なくとも懲役刑につき、その刑の執行を猶予する判決がなれされるべきものである。懲役刑における執行猶予の判決と実刑判決とでは、天と地ほどの重大な差異があるものである。刑の執行猶予の制度を明定している現行刑法を適用する現行刑事裁判の実務では、懲役刑を実刑とするか執行猶予とするかが問題となるような事案においては、執行猶予となるならぬのいずれかの結論は、量刑の当、不当と直結するものである。

以下に述べるとおり、本件事案につき、本件被告人に対し、懲役刑につき執行猶予に付すべきかどうかは、本件の量刑上、最も検討、考慮すべき重要な点であり、しかも本件につき、あらゆる情状を冷静に検討考慮すれば、本件被告人に対しては、懲役刑につき執行猶予に対するのが相当であることが明かであるので、原判決は不当である。

二、 刑法第二五条第一項は「前に禁錮以上の刑に処せられたことのない者、前に……………処せられたことがあっても、執行をおわった日から五年以内に……………刑に処せられたことのない者」が、三年以下の懲役刑の言渡を受けるときは、「情状により」一年以上五年以下の期間内、執行を猶予することができることを規定し、同条第二項は情状特に憫諒すべきものは、再度の執行猶予にすることもでき、更に、第二五条の二は執行猶予とする場合に保護観察に付することもでき、第二六条以下は猶予期間中更に罪を犯すこと等が生じた場合に猶予を取消す等のことを各規定している。

これらの規定に基づく、この執行猶予の制度は短期自由刑の弊害をさけることが第一の目的であり、これとともに被猶予者に対する警告又は心理強制によって、刑罰を執行しなくてもこれを執行したと同様の効果を収めようとするものである。執行猶予を付す前の刑期宣告主文のみにおいても、刑事政策上十分な効果があることを認めた制度なのである。この制度はわが国の刑事司法において確固たる地位をしめ、刑事政策上重大な意義を有するものである。

「情状により」というのは、刑の適用において考慮すべき、「被告人の年齢、性格、経歴及び環境、犯罪の動機、方法、結果、及び社会的影響並びに犯罪後における被告人の態度」等の情状を総合考慮して、右執行猶予制度の立法趣旨に照らして、その刑の執行を猶予することが相当であると考えられる場合をいうものである。

三、 本件の場合、脱税額、利得額が大きいという犯罪の結果の点において被告人を責むべき情状もあることから、被告人に対し、刑の一般予防の目的に照らして、執行猶予を付す前の刑期宣告の主文としては罰金刑を併科した上での相当程度の懲役刑の宣告刑はやむを得ないとしても、以下に指摘する諸情状を総合考慮するならば、本件につき被告人に対し罰金一億円の実刑に加えて懲役二年六月の宣告を下すに及んでは、懲役役刑については宣告のみで刑の目的は十分効果を発揮しており、これについては執行猶予を付されて然るべきものである。

第二、

一、 まず、被告人は前科犯歴を全く有しないものである。執行猶予制度に刑事政策上の重大な意義を認めている刑事裁判実務では、時には「猶予期間中」の者に再度の執行猶予が付されることもあり、又「前に禁錮以上の刑に処せられたことのある者」に猶予が付されることもある位であり、通常多くみられる「前に禁錮以上の刑に処せられたことのない者」に付される場合の中でも、「罰金に処せられたことのある者」又は「刑に処せられたことがなくても犯歴のある者」等の場合もあるのであるが、被告人はこの中でも「全く何らの犯歴もない者」である。

殺人等の凶悪な重罪については、仮に全く犯歴前科なき者でも、その犯行の凶悪性、侵害法益が生命等の重大なものであること等から執行猶予については消極的きに、これを余り認めさせないようにとの法意から、懲役刑の短期を三年以上等と法定されているのである。

又、法定合議事件等のかなり重い犯罪については、法定刑が短期一年以上ということで、宣告刑そのものも、執行猶予の余地のない刑期三年を超える可能性が多く予定されている。

然るに、懲役刑の短期が決められず、懲役刑の長期のみ何年以下と法定されている種類の犯罪については、本来刑事政策上執行猶予を積極的に適用することを予定しているものである。これは前記の短期自由刑の弊害をさけるという近代刑法の理念に基づくものである。このような何年以下の懲役という法定刑の事案においては、犯歴前科の全くないものについては、刑の執行猶予の適用を排除するのは、余程慎重であるべきものである。

すなわち、人間は不完全なものであり、時には誤ちを犯すことはあるものである。一度誤ちを犯した者が、これを注意されたり、検挙されたり、起訴猶予処分を受けたり、刑事裁判を受けたりすることとなるが、それにも拘らず再度犯すこともある。そのような者には反省がないということで、社会も、法も、許さないこともある。又、殺人罪などの重罪の場合は、仮りに一度の誤ちによっても回復し難い法益の侵害が残ることに対する社会正義の感情が厳罰を求めることもある。然しながら財産犯及びこれと類似した税法違反等においては、被害回復がなされ得ることなので、このような事案については、初犯のものは被害を回復させて、反省再起の機会を与えるというのが原則といっても過言ではない。

本件被告人に犯歴が全くないということは、決して看過できない、情状の最も考慮に価する要素である。

二、 更に又、本件については、被告人は脱税した三年分を修正申告したうえ、本税、延滞税及び重加算税など全部の納付を完全にすませており、又不正取得した基準看護料全額の返還も完全にすませている。

税法違反を摘発する目的は国税の確保にあるが、本件脱税については右のとおり結果的にはその国税確保の被害が完全に回復されており、更に重加算税等により、懲役の見地からの懲罰的効果も果たされている。詐欺罪についても被害が完全に回復されている。

五年以下の法定刑の罪である脱税犯、及び一〇年以下の法定刑の罪である財産犯において、被害が完全に回復していることは、執行猶予を認めるべき、大きな要素となるものである。

たとえ、額がかなり高額であったとしても、その高額なものを完全に回復したということは、大きな意義を有することである。本件において、このような完全な被害回復ができたのは、後述するとおり、本件事案の動機、金銭の使途が主として医療活動のために用いていたものであって、決して、遊興墜落した生活に浪費されていたものではなかったことにより、結果的には医療活動及びこのための病院経営への対処に予定されていた資金、或いはこれらによる信用による借財等によって返済し得たものであり、本来犯行の動機、目的が悪質なものでなかったことと、被告人の社会的貢献、信用が高かった故に、被告人の努力により、完全回復がなし得たものであって、犯行が高額であっても、回復が完全であったということは、執行猶予を適用するに足りる重要な、よき情状である。

多額であるという情状は、罰金一億円の実刑と懲役二年六月という重い刑の主文によって充分に評価されているものであって、以上述べた犯歴前科なく、被害等全額回復ずみというだけでも、執行猶予に価するものである。

然るに、本件では更に次のような情状も存するものである。

三、 更に又、被告人は単に前科犯歴がないという社会にとって有害な人間ではなかったと評価されるだけではなく、むしろ被告人は医療熱心で積極的に社会に貢献しているという社会にとって有益な人間であったと評価される人物である。

「被告人は永年老人医療のため尽力してきた。」「年々老人の患者が増加する傾向がある中にあって、被告人経営の大手町病院では、他の病院が嫌う寝たきり老人、或いはいわゆるぼけ老人などの入院患者を早くから積極的に受け入れてきた。しかし、入院希望者が多くて応じきれなかったため、被告人は昭和五五年六月敬愛病院を開設して、それらの希望に応えてきた。」ことは、原判決も判示しているところである。

このように被告人は医師として医療を通して社会に奉仕してきたほか、永年社会福祉その他諸団体に対し寄付を続けてきている。

単に前科犯歴がないのみならず、右のとおり社会に積極的に貢献してきているこのような被告人については、被告人が今回の事件で検挙され裁判を受けたことによって再犯の虞れはなく、刑の特別予防の見地すなわち被告人の改善という見地からも懲役刑を実刑に科する必要がないのは勿論のことであるが、刑の一般予防の見地すなわち社会一般に対するみせしめの見地においても、このような社会的貢献がある全く犯歴前科のない者に対しては、罰金一億円の実刑とに加えて懲役二年六月の判決主文が宣告されることのみをもって足り、敢えてこの懲役刑についてまで執行猶予を排除する必要は認められない。

四、 更に又、前記の被害等が全額回復されている情状に加え、本件では脱税及び基準看護不正受給の動機及び本件犯行によって得られた資金の使途等においても、懲役刑の執行を猶予するに価する情状が存する。

被告人が本件脱税を犯したのは、敬愛病院の建設や医療機器の整備のための資金を捻出する必要があったからであり、基準看護料の不正受給をしたのは、大手町病院で寝たきり老人やいわゆるぼけ老人などが私費で付添人をつけなくても入院できるような体制(いわゆる完全看護体制)を維持して経営を続けるためにははやむを得なかったからである。それは、前記の「年々老人の患者が増加する傾向がある中にあって、被告人経営の大手町病院では、他の病院が嫌う寝たきり老人或いはいわゆるぼけ老人などの入院患者を早くから積極的に受け入れてきた。しかし入院希望者が多くて応じきれなかったため、被告人は、昭和五五年六月敬愛病院を開設してそれらの希望に応えてきた。」というとおりに、永年老人医療のために尽力してきた当時の被告人としては、正にそれが医師としての社会責務を果たすためのことであったのである。であるからこそ、現に、本件脱税によって手許に保留された資金は主として新病院(敬愛病院)建設のための借入金の返済や医療機器の整備のために使用されており、本件不正受給された基準看護料は完全看護体制で入院希望の老人患者を受け容れる病院経営のために使用されているものである。

原判決は、「大手町病院では、正看護婦及び准看護婦の数が慢性的に著しく不足していたこと、従って、これらの看護婦は多忙であったが、その待遇は決してよくなかったこと、医師も不足し、その点を保健所から指摘されたこともあったこと、病室が足りなくて手術室、機能訓練室などにまで入院患者を収容していたことのほか、被告人は岳父から受け継いだ病院を自分の力で大きくしたいという願望をもっていたこと」などに照らすと、「新病院の建設や医療機器の整備」が、専ら「医師としての社会的責務を果たすため」に行なわれたことは認め難く、「被告人自身の事業規模拡大欲」に基づき行なわれた面が大きい、旨判示している。

然しながら、この判断は誤っている。

まず、「新病院の建設や医療機器の整備」が、「医師としての社会責務を果たす」ことか、「事業規模拡大欲を充たす」ことか、いずれの面が大きいと考えるかは、「新病院の建設や医療機器の整備」に対する評価如何によって異なることである。

被告人自身は、主観的には、医師としての社会的責務を果たすためであると確信しており、事業規模拡大欲でない旨、断言している。

然るに、客観的にも、本件病院及び被告人のおかれた社会的背景及び環境並びに被告人の人格、生活歴等あらゆる面からみても事業規模拡大欲ではなく、医師としての社会的責務を果たすためのものであることが認められる。

前記の「年々老人の患者が増加する傾向がある中にあって、被告人経営の大手町病院では、他の病院が嫌う寝たきり老人、或いはいわゆるぼけ老人などの入院患者を早くから積極的に受けいれてきた。しかし、入院希望者が多くて応じきれなかったため、被告人は、昭和五五年六月、敬愛病院を開設してそれらの希望に応えてきた。」と原判決も判示しているとおり、被告人が老人医療のために尽力してきているのである。

このように、医師としての社会的責務を果たすためであることを認めるに足りる明確な背景事情があるのに、これを事業規模拡大欲と曲解するのは不当である。

被告人は事実、豪奢な生活等をしておらず、又、病院以外のことでは利益をあげる活動を画策するなどのことをしているわけではなく、実際、結果的にも本件によって得た資金は専ら他が受け入れない老人患者を受け入れ治療をするための病院建設、医療機器整備に使っているのである。

被告人が主として事業規模拡大欲で本件犯行を犯したものであるならば、そのような拡大欲のある者に通常ありがちな豪奢な生活をしてみたり、病院以外のことで利益をあげる活動を画策する等何かにそのようなことが現れるものであるが、そのようなことが全くなく、むしろ老人医療に専念し、且つ又社会奉仕的な行為を行っている位である。

原判決が右拡大欲を認める根拠として列挙した事実は、いずれも仮りにそれに近いことがあったとしても、何ら右拡大欲を認定することにならないことばかりであるのみならず、その個々の事実については、次の通りの実情がある。

「大手町病院では看護婦の数が慢性的に著しく不足していたこと」については、それなりの社会的背景や事情が在するのであって決して理由のないことではない。地域社会における看護婦の絶対数の不足、このような老人病院への看護婦希望者の不足等の決定的な事情が存するのである。

「従って、看護婦は多忙であった」というわけでもない。大手町病院では、患者は老人が多く、老人患者の治療介護の特殊性から看護婦よりも看護助手の実質的働き部分が多かったので、老人の少ない他病院に比べて看護婦が必ずしも多忙であったわけではない。

尚、被告人及び弁護人が看護助手の実質的働き部分が多かったことを指摘しているのは、決して有資格の看護婦と無資格の看護助手を同一視するわけでもなく、看護婦の職責の重要性を無視した議論をしようとしているものではない。患者の病状に応じた適切な看護を任務とする有資格の看護婦が必要なことは勿論のことであるが、この看護婦だけで患者の看護をするわけではなく、看護婦が看護助手を指導して、この看護助手の補助を受けて、看護助手の働きも利用して看護を果たしているのが実情であり、このこと自体は合理的なことである。問題は、この全体の看護要員の中で看護婦や看護助手の構成比がどの程度であれば、看護を果たせるかを議論しているものである。その際、老人患者を扱う本件病院においては、被告人及び弁護人が指摘している論が正しいことは原審取調べ済の証拠によっても明らかである。

「その待遇は決してよくなかった」とあるが、他病院と比べて、特に悪かったわけではない。

「医師も不足し‥‥‥‥‥」とあるが、医師、看護婦の不足も、同病院の待遇が悪いからではなく、このような老人病院への医師及び看護婦希望者の絶対数の不足が決定的要員であって、待遇を良くしただけで不足が解消されるという単純なものではない。

「病室が足りなくて手術室などにまで患者を収容していた」との点は、正に、老人入院希望者が多くなったからこそ、病院、設備を建築、整備する必要に迫られ、本件に至った事情となるものである。

「岳父から受け継いだ病院を大きくしたかった」とあるが、岳父から受け継いだ医業を充分果たしたいというという願いは当然のことであるが、これは入院希望の老人患者を拒まず、これを受け入れて老人医療を充分果たしたいと願ったからに他ならないものであって、老人医療を十分に果たすことと離れて、病院を大きくするという願望があったわけではない。

基準看護料不正受給について、原判決は「基準看護料の支給を受けられなくなっても大手町病院の経営が成り立つもであるかどうかの点について、経理担当者などと相談するなどして検討したような形跡は認められないこと」や「大きな所得があったのであるから、その気になれば基準看護料を受給しなくても完全看護は可能であったこと」に照らすと「完全看護体制を維持するためには不正受給もやむを得なかったとはいえない」として、「収入を維持し、又は増大するために不正受給した」と認定するほかない、旨判示している。

然し、これについては、次のような実情がある。

まず、経営については、更に経営の専門家の指示を仰ぐ等種々の方法により、且つ又、種々の角度から検討が加えられるのが理想的であったことは否定できないが、被告人自身は本来医療熱心な医師に過ぎず、経営専門家でもなかったので、右のような種々の方法、種々の角度からの検討を加えて経営に対応するところまでいき届かず、とにかく、入院を切実に希望している患者を断らないとなると、これらの患者すべての入院を受け入れる経営として、基準看護の継続しか考えられなかったものである。経理担当者も被告人と同様の考えであったので、改めて相談検討するまでもなかった次第である。被告人も「基準看護を受けない病院経営」一般を不可能といっているわけではない。単に病院を経営していくということだけならば入院希望患者を断り、入院患者数を減らし、少数の看護婦でも、正しく基準看護を受けていくことは可能である。又基準看護完全看護ではなく、付添は自分で付けて下さいといって、事実上入院希望患者が入院を断念して、少ない入院患者で基準看護なしで病院経営することも不可能ではない。然しながら、続々入院希望してくる患者を断らないで受け入れるには、その受け入れに必要な物的設備と人的看護要員の実質的充足、看護要員による手厚い看護を継続的に維持できるような経営が必要なのであって、そこに患者を断らないで基準看護なしで経営していくことの困難が存したのである。

以上述べたとおり、本件動機及び金員の使途が病院建設や医療機器の整備、受け入れ先のない老人患者の受け入れであったということは、本件につき執行猶予を考える際に考慮すべき重要な要素の一つである。現に脱税事犯で数少ない実刑の事犯はいずれも、動機及び使途において、本件のような医療設備の充実、老人患者の受け入れというような真面白な動機などがない事案ばかりである。

本件はこのような真面目な動機及び使途であったればこそ、これを違法として今回検挙されただけで.被告人には再犯の虞れもなく、被害回復も十分行い得たものである。

五、 原判決は、犯行が被告人において、主導的、積極的に行われたとも、責任の重い一つの理由としている。犯罪であることはよくないことであり、結果も大きいから、そのようなことを被告人自身が犯していること自体は責められることではある。

然しながら、本件犯行が特段悪質な形態で被告人において主導的、積極的に行われたとは認められない。本件犯行は、病院の経理や保険診療報酬請求等に関するものであって、その性質上当然、被告人の病院に勤務する被告人の従業員や被告人から依頼された税理士等の担当者らが関与してなされたものであるが、特に被告人が主導的積極的に行ったとは認め難いのみならず、仮りに主導的積極的な点が一部認められたとしても、そもそも「経営者がこれら担当者をして専ら主導的、積極的に行わせて自分は受動的、消極的にこれを黙認するだけという方法でなされた場合」と「経営者が自らも主導的、積極的に担当者らに指示する方法でなされた場合」とを比較してみる場合、その責任の軽重は一概にはいえないものがある。

いずれにしても、そもそも、本件動機、及び金員の使途が、老人患者の受け入れ、医療設備の充実等という医療を十分に果たすことであったので、結果的に本件は、当然病院のために被告人の責任においてなされたことになるわけであって、このことが特に悪質な態度でなされたわけではない。むしろ、本件は、動機及び使途が前記の真面目なものであったため、被告人経営の病院のためになされたに止まり、特段担当者らを巻き込んで、その利得を互いにむさぼるという犯行とはならなかったのは、よかったことである。

従って、病院経営者である被告人が自ら本件の責任を真面目に受けとめて、捜査にも協力的に対応した結果、病院関係者及び被告人のいずれかもが逮捕勾留などされることなく、本件裁判を受けることとなったものである。

右のとおり、本件も犯罪と認定される以上、それは悪と評価せざるを得ないが、被告人の関与の形態が特段悪質なものと評価するのは酷なことといわねばならない。

六、 更に又、被告人が既に実質的にかなりの打撃、社会的制裁を受けていることも、懲役刑に執行猶予を付する要素として考慮に価することである。

刑の一般予防の見地からも、被告人がかなりの打撃を受けているかどうかを考えてみる必要があり、又刑の特別予防の見地からも、右の打撃から被告人が十分に反省し再犯の虞れがないことを考えてみる必要がある。

然るに、前記のような今まで取調も裁判も受けたこともなく、且つ社会に貢献してきて社会的名声もあり、しかも当六〇歳を過ぎる年齢の被告人が、前記のとおり、本件被害全額の回復を果たしている外に、本件発覚後の昭和五九年二月九日責任をとって大手町病院を廃止し、同日医療法人社団清和会(丸の内病院)を設立し、同法人に大手町病院の入院患者を収容したが、その法人設立にあたって大手町病院の建物及び医療機器などを全部現物出資しており、しかも、自らは同法人の理事にも就任せず、勤務医となっており、本件につき新聞などに大きく報道され、それ相応の社会的制裁を受けている。

このような被告人が、再犯の虞れがないのは勿論であるが、このように社会的制裁を受けていることによっても、本件起訴及び罰金一億円の実刑及び懲役二年六月の刑の宣告によって、十分に刑の一般予防の目的をも達成していると考えるのが相当あって、その上この懲役刑につき執行猶予の適用を排除するのは余りにも酷であり、刑法二五条の法意を十分理解して執行猶予とすべきものである。

第三、 以上述べたとおり、前科犯歴がないのみならず、永年老人医療に尽力する等して社会に貢献してきた、被告人が、多額な犯罪とはいえ、その被害を完全に回復した上、実質的にかなりの社会的制裁を受けており、日つ又その犯行の動機も老人医療の充実を図る目的でなされたものである等酌量すべき諸事情も認められるのであるから、本件については、被告人に対し、懲役刑につき執行猶予に付するのが相当であると確信する次第である。

冒頭にも述べたとおり、懲役刑における執行猶予付判決と実刑判決とでは、天国と地獄との如き重大な差異があるものである。実刑判決は若年の者には、未だ教育的な面も考えられないわけではないが、当六〇歳を過ぎる者には地獄におちるような境地に立たせるものであるといっても過言ではなく、被告人がもしこの地獄の側におちるようなことになれば、右年齢の点からみても這い上がることは非常に困難なことである。以上述べた諸点を十分御斟酌いただき、被告人にも将来に光明を与え、被告人が今後とも医師として、特に病気の高齢者に対しこれ迄通りの医療看護活動を継続して社会的責務を果たすことができるような裁判、即ち原判決を破棄の上、懲役刑につき執行猶予付判決の言渡がありますよう、衷心から上申する次第である。

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